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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.208
2021年2月18日号
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◆今回の内容
○神話とナチュラルナビゲーション
・鳥と神話
・海から読み取ること
・風が運ぶもの
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神話とナチュラルナビゲーション
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私は、昔『山と渓谷』という登山専門誌の編集部で働いていたことがありましたが、その『山と渓谷』のライバル誌で『岳人』があります。数年前に版元が東京新聞からモンベルの系列会社に代わり、硬派で知られた誌面がだいぶカジュアルな雰囲気になりました。
その岳人の最新号(2021年3月号)では、「鬼の棲む山」という特集が組まれています。日本全国には鬼伝説が残る山が数多くありますが、その伝説を紹介しながら、実際に鬼伝説の残る場所と山を訪ね、登山専門誌らしく地形的な特徴も実地にレポートしています。そんな特集に惹かれて、かつてのライバル誌を30数年ぶりに購入しました。
その中で、登山家であり現役の猟師でもある服部文洋氏の「カモシカに見る鬼のイメージ」という試論に惹きつけられました。タイトルバックの写真は、二本の立派な角が前頭に生えた髑髏。暗い山の中の濡れた岩の上に眼窩がぽっかりと開いて、こちらを向いています。それは、まさに日本人なら誰もがイメージする「鬼」の髑髏そのものです。
しかし、それが鬼のはずはありません。じつはこれはカモシカの頭蓋骨でした。鹿の雄は毎年骨組織が生え変わり、髑髏になっても根元から脱落してしまいますが、カモシカはウシ科の動物で、雌雄ともに角を持ち、その芯の部分には骨があるので、髑髏になるとまさに鬼のような角の骨が残るのです。
深山に分け入る服部氏は、こうしたカモシカの頭蓋骨は何度も目にしているので動じませんが、目にしたことのない人間は、それを「鬼の髑髏」といわれれば信じたくなってしまいます。ちなみに、カモシカは天然記念物で、こうした骨に触れることも許されていないので、持ち帰って見世物にすることもできないから、余計に人目に触れにくいものでもあります。
服部氏は、「かつての山人にとって、カモシカは食べ物の一部であったはずだ。骨格に関する知識も十分持っていて、カモシカの骨を鬼の骨と思い込むことは考えにくい」と書いていますが、里人や海洋沿岸に住む人にとっては馴染みのないものですし、山人そのものを鬼もしくはその係累と恐れるようなところもあったので、私は、山人が放置したカモシカの頭骨を目撃した里人が鬼の骨と考えた可能性は高いだろうと思います。
かつては、自然がもっと身近にあり、カモシカの髑髏を見かける機会も今よりずっと多かったでしょう。それだけでなく、動物の特殊な習性を見て、そこから人が学んだことも多くありました。各地の秘湯の発見譚は鹿やその他の獣が傷を癒やすために温泉に浸かっているのを見つけたのが開湯のきっかけになったという話がポピュラーです。
また動物だけでなく、自然の中で見られる様々な植物や、あるいは風や、海が見せる様々な表情を観察していた昔の人達は、そこから様々なことを学び、それを教えてくれた自然の営みを神聖視したりしてきました。
今回は、そんな例を元に、とくに昔の人達が旅をするときに用いたナチュラルナビゲーションの技術と神話の関係を掘り下げてみたいと思います。
●鳥と神話●
日本神話では、神武東征の折に八咫烏が道案内をしたとされています。三本足の八咫烏は、熊野本宮の祭神であり、賀茂氏の氏神である賀茂県主の象徴ともされています。また、サッカーの日本代表チームがシンボルに採用したりして、神の使いもしくは神の一柱として、私たち日本人にはとても馴染み深い動物です。
しかし、なぜカラスが道案内を務めたのでしょう?
ギルガメシュ叙事詩に記されたバビロニア版の大洪水の物語では、ノアの原型となった人物が方舟で海原を漂いながら、はじめにハトを放ったと書かれています。ハトはしばらくすると方舟に戻ってきます。つぎにツバメを放ちましたが、これも戻ってきました。そして、次にカラスが放たれると、カラスは上空を旋回した後に、一定の方向へと飛んでいきました。その方向へ方舟を進めると、ほどなく陸に辿り着きました。
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