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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.201
2020年11月5日号
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◆今回の内容
○道教の聖地としての伊勢
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道教の聖地としての伊勢
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今年はコロナ禍によって、春から初夏にかけては外出もままならず、例年、初夏からスタートする昭文社の『ツーリングマップル』の取材も、大幅にずれ込みました。
ようやくスタートできたのが9月半ば。そのときは最高気温36℃という猛暑に見舞われましたが、すぐに秋へと突入し、ようやく取材を終えた先日は、山の中で3℃を記録して、一月あまりの間に30℃以上もの温度差を経験しました。
取材とはいいながら、例年のように人と接触することは極力避けて、主に自然の中を走っていたので、夏から秋へと空気が変わり、一気に紅葉の装いを纏った山に吸い込まれ、日本は季節で明確に色分けされていることを改めて感じました。
また、山裾にある太古の遺跡などを訪ねていたので、彼らがそうした季節による自然の変化を察知しやすいような場所に住み、季節ごとの自然の恵みによって生かされていることを感謝し、取り巻く自然環境そのものを奇跡のように感じて敬って生きていたんだなと、彼らの気持ちに触れあえた気もしました。
今年は聖地調査のフィールドワークもなかなかできない分、聖地の成り立ちについて、そんな太古の遺跡から考えさせられていました。
今回の聖地学は、そんな思いとともに、区切りとなる200回を超えた最初の回として、今の日本人が「聖地」という言葉から真っ先に思い浮かべる「伊勢」について、伊勢神宮の成り立ちの深層を考えてみたいと思います。
日本神話に由来する「皇祖神」を祀る神社としてもっとも尊貴な位置づけの社、あるいは国家神道=天皇教のイメージから、すべての神社の頂点に位置する社といったイメージが強いのが伊勢神宮です。
しかし、それらは仮初の由緒であって、実際には7世紀の天武・持統期に日本神話の編纂とともに社伝や祭式が整備されたものでした。さらに、持統天皇は皇位継承に強い抵抗を受けた女帝であったために、自らを伊勢神宮に祀られた天照大神の化身である「現人神(あらひとがみ)」だとして正統性を宣言し、権力基盤を確固たるものとしたのでした。
後に、明治政府が明治天皇を「現人神」として国家神道=天皇教を創始したのは、この持統天皇の発想が原点でした。
こうした天武・持統両帝によるシナリオ通りに伊勢神宮が造営されて、すべてが矛盾なく納まっていれば、ことさら伊勢の聖地性を云々する意味はありません。しかし、単純にそれだけでは片付けられない謎が伊勢神宮には横たわっています。
伊勢神宮周辺に見られる道教由来の「太一信仰」は何を物語っているのか。世界中で太陽神は男神の性格を持っているのに、内宮に祀られる天照大神という女神がどうして太陽神なのか。外宮は男神を祀っている様式であるのに、どうして豊受大神という女神を祀っているのか。そして、伊勢にお参りする際に、どうして内宮からではなく外宮から先に参拝するのか……そうした謎は、正史にも記されていないし、口伝でも残ってはいません。
そこで、レイライン=方位という観点から見直してみようというのが、今回の趣旨です。
●外宮-内宮ラインが意味するもの●
伊勢神宮の方位的な意味は、巨視的に見ると近畿の五芒星を構成するひとつのポイントであることが挙げられます。その他に、内宮が伊勢二見浦から夏至の朝日を迎え入れる構造をしていること、御神体山と本殿(正宮)が二至を結ぶ位置関係にあることなども目立つ特徴です。これらは拙著『レイラインハンター』や当講座でも詳述していますが、これらの分析からは、先に挙げたような謎の答えにはたどり着けません。
ここで、伊勢神宮を巡る新しいレイラインが登場します。それは、外宮-内宮を結ぶ西北-東南ラインです。ここで通常の方位表記である「北西-南東」ラインとしないのにはわけがあります。それは、このラインが道教に深く関係しているもので、道教では西北、東南と表記するからです。
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