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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.175
2019年10月3日号
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◆今回の内容
○聖なるものの結びつき
・古代の動物神
・様々な宗教に残るゾロアスター教の記憶
◯お知らせ
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聖なるものの結びつき
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前回は、聖獣として登場する牛(丑)の意味について、それが元々月神の象徴であり、それは西洋でも東洋でも、共通のイメージでとらえられていることを紹介しました。
今回は、牛に限らず、広く世界で同様のイメージでとらえられている動物神を見渡し、さらに、各地の神話の中にも共通するイメージをピックアップして、宗教と信仰の繋がりを明らかにしたいと思います。
●古代の動物神
前回、古代メソポタミアでは、「シン」と呼ばれる月神が最高神であり、その姿は牡牛として表されたと紹介しました。自然信仰における神の序列では、通例は太陽神が最高神に位置づけられます。ところが、古代メソポタミアでは月神が最高神とされ、太陽神はそれを補佐する神に位置づけられていました。
古代メソポタミアを構成したシュメル社会では、太陰暦が用いられていました。月の満ち欠けで一ヶ月を測り、新月の前後に見られる三日月が牡牛の角と同じ形であることから、牡牛を月神のシンボルとしたのでした。
古代メソポタミアは、すでに農業を基盤とする社会でしたから、種まきや刈り入れの時期が季節と一致していないと不都合が生じます。太陰暦のままでは、暦と実際の季節がどんどんズレていってしまいますから、農事暦としては使えません。そこで、このズレを補正するために、閏月を挿入する太陰太陽暦が用いられるようになりました。最高神である月神(太陰暦)を太陽神(太陽暦)が補佐するという図式がここに生まれ、それが信仰にもそのまま持ち込まれたのです。
また牡牛は天候神アダドの随獣としても描かれていることから、降雨や雷が農作物の豊作をもたらす恵みの神の使いとしてもイメージされていたと考えられます。
紀元前7500年前まで遡ると推定されているトルコのチャタル・ヒュユク遺跡では、大規模な村落とともに、牡牛の頭部を祀った祠やバッファローのようなたくましい牡牛が描かれた壁画が発見されています。それらは、男性がペニスを屹立させた絵とともにあることから、力と豊穣を象徴するものであることがわかります。
さらに、チャタル・ヒュユク遺跡からは、豊満な肉体の女神像も見つかっています。それは地母神を象ったとされる旧石器時代のヴィレンドルフのヴィーナスや日本の女性を象った土偶とそっくりで、やはり地母神を表していることが明らかです。
この女神像はとてもユニークで、他の地母神像と違って立像ではなく、椅子に腰掛けています。そして、その肘掛けの部分にはライオンと思われるネコ科の動物の頭部が象られています。豊満な肉体をゆったりと椅子に沈めて、長い両手をライオンの頭に載せているのです。
この像は穀物倉と推定される建物の中で見つかりました。古代オリエント世界では、ネコ科の動物の鳴き声は雷鳴を連想させ、雷は雨をもたらすことから農作物の豊作につながると信じられていました。つまり、地母神に対して豊作を祈願するという意味が明確に見て取れます。
豊作祈願といえば、日本では稲荷神が思い浮かびます。稲荷神は眷属として狐を従えますが、狐は田畑を荒らす獣を襲うことから眷属として祀られるようになったとされています。さらに狐は性愛の象徴ともされます。農作物の豊穣を祈るということは、同時に子孫繁栄への祈りも含まれているので、単純な子孫繁栄の象徴なら違和感はないのですが、性愛でもとくに淫靡なイメージが結びつけられているのです。
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