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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.143
2018年6月7日号
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◆今回の内容
◯「聖なるもの」と人
・「聖なるもの」の意味
・「聖なるもの」から隔離された時代
◯お知らせ
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「聖なるもの」と人
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先日、ある会合で、「聖地と人」というテーマでお話をさせていただきました。レクチャー後のフリートークでは、聖地を訪ねることで意識が変わったといった方や、「聖なるもの」との触れ合いが人生の転機になったという方が大勢いました。私もいろいろな聖地を巡っていますが、そうしたドラスティックな体験といったものはないので、そんな人が多いことが意外でした。
彼らの話を詳しく聞くと、ほとんどの人が幼い頃からの激しいDVや、自分や身内の大病など、人生における大きな危機や困難と、それがもたらす苦悩を経験されていました。
恐山のイタコや沖縄のノロやユタ、さらには、世界中の「シャーマン」と呼ばれるような人たちは、肉体や精神の危機に直面して、大きな苦悩に苛まれ、ついには錯乱し、さらに脱魂に陥るという共通のプロセスを経験します。そして、脱魂状態の中で「聖なるもの」と触れ合い、覚醒したときには、シャーマンとして生まれ変わっているといいます。
会合で体験を語ってくれた人たちは、さすがに脱魂体験まではなくても、「聖なるもの」を感じたことが、危機や困難から脱し、苦悩が緩和される契機となったという点では、シャーマンたちと同様の体験をしたといえます。
今回は、そんなこともふまえて、「聖なるもの」について考えてみようと思います。
●「聖なるもの」の意味●
「聖なるもの」を表すいちばん具体的な言葉は、英語の"sacred"です。これは、ラテン語の"sacer"が語源で、そこには、「崇高な存在の知覚」と「恐怖を引き起こす穢れからの隔離」という二つの意味が含まれていました。
「崇高な存在の知覚」とは、エリアーデの言う「エピファニー=顕現(神霊的な存在が、光や音などの形で現れること。それを知覚すること)」と同じで、その人が信じる神や超自然的な存在との出会いを実感したり、崇高な雰囲気を感じ取るということです。たとえば荘厳な神殿の内部や寺社の境内で、超自然的なものに包まれているように感じたり、声明や祝詞、ゴスペルなどの宗教的なリズムや歌を聴いて、敬虔な気持ちに誘われるようなことです。これは、誰でもイメージしやすいと思います。
一方、「恐怖を引き起こす穢れからの隔離」という概念は、「聖なるもの」という言葉からイメージするものとは若干異なるように感じます。しかし、聖なるものの機能という意味ではこちらのほうが具体的です。
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