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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.142
2018年5月17日号
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◆今回の内容
◯土地の力と農
・農の叡智
・農と聖地
◯お知らせ
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土地の力と農
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前回のこの講座では、最後に、能舞台が『聖なる場』を現出させる装置になっていることをご紹介しました。それは、影向の松に代表される、自然の中に存在する神の依代や聖地をモデルにして、それを極限までシンプルに表現したものでした。
ゴールデンウィークのはじめから、茨城県の太平洋沿岸の町である故郷に拠点を移して生活を始めてみると、18歳まで過ごしていたときにはまるで意識していなかった、田舎の自然の濃密さと、そこに含まれている能にも登場するような『聖性』を感じるようになってきました。
私の故郷は、メロン生産日本一で、他にも芋やごぼう、人参などの根菜類、それに米や養豚なども日本有数の生産量を誇る農業の町で、広大な畑と濃密な森、そして海と湖が独特の風景を織りなしています。
そんな自然環境の中で、ジョギングしたり、仕事の合間に散策していると、農地でもどこか聖性を感じさせるようなところがあったり、なんだか乾いて殺伐としたような印象を受けるところとがあることに気づきます。
聖性を感じさせるような農地は、傍らを通りかかると、空気がしっとりとして落ち着き、人工的でない様々な香りがほのかに立ち込めています。また、耳を澄ませば、虫の羽音が心地よく響いています。逆に殺伐とした印象を受ける農地は、強い肥料臭が漂い、傍らを通り過ぎるだけで、肌が干からびてしまいそうなくらい乾いた空気に覆われています。
それは、農業の形態による違いも大きいとは思いますが、私には、何かその場所固有の「地力」の違いが、その根本にあるように思えるのです。
そんな私の経験を元に、今回は「能」ならぬ「農」の聖性について触れてみたいと思います。
●農の叡智●
私の住む町から南へ20kmあまりの場所に常陸国一宮の鹿島神宮があります。最近の神社ブームで、香取神宮、息栖神社と合わせた「東国三社」巡りに訪れる人が増え、とくに鹿島神宮はその中心として賑わっています。
その鹿島神宮の参道の一角に「パラダイス・ビア・ファクトリー」というカフェがあります。このお店は、長く鹿島の地で農作物の自然栽培に取り組んできた「鹿島パラダイス」という会社が運営しています。このカフェで提供される料理の素材は、すべて自社の農地で収穫されたもので、お店の名前の由来でもある併設のマイクロブリュワリーで仕込まれるビールの原料も同様です。
先ごろは、門前を借りている鹿島神宮の御神水を仕込み水に使った「弥栄(いやさか)」というビールも開発し、文字通り鹿島の大地の恵みを存分に味わうことができます。
先日、このパラダイス・ビア・ファクトリーで、鹿島パラダイス代表の唐澤秀さんとお話する機会がありました。
大学で農学を専攻し、現代農業の最先端で働いていた唐澤さんが自然農法と出会い、それを実践して鹿島パラダイスを築いてきたプロセスは、現代農業のあり方に大きな革新をもたらすような、刺激的な話がたくさんあります。そんな中、私は、唐澤さんが農地の「地力」を強く感じるという話に、とくに興味をいだきました。水はけや日照、風の流れなどの条件が同じ農地でも、場所によって収量や品質に違いが出て、長く自然農法を研究してくると、そんな農地の「地力」を見分ける勘が身につくというのです。
農薬や化学肥料を大量に投入したり、特定の病害虫を忌避するように遺伝子操作されたりした種を扱う現代農業では、土地を均質な「生産工場」にしてしまいますから、土地が本来持っている個性は消されてしまいます。それに対して、鹿島パラダイスが実践している肥料も農薬も一切使わない自然農法では、作物そのものの生命力と土地の力のみが生産のファクターなので、土地のポテンシャルの差が歴然と現れるのでしょう。
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