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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.139
2018年4月5日号
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◆今回の内容
◯寒川神社の謎
・寒川神社の祭神とその意味
・寒川神社の方位信仰のルーツ
・サムカワとサンガワ
◯お知らせ
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寒川神社の謎
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今月21日は、朝日カルチャーセンター湘南教室で寒川神社と江の島をテーマとした講座を開催します。今回は、それに因んで、寒川神社を取り上げてみたいと思います。
寒川神社は、一般的には八方除けの神社として知られ、毎年30万人もの祈祷を希望する参拝者が訪れます。神社で祈祷して貰う人の数は、二位に並ぶ神社で3万人ですから、いかに寒川神社の霊験に期待している人が多いかを物語っています。
ところが、寒川神社がなぜ八方除けに霊験があるのかはさだかではなく、創建の正確な年代も不明なら、祭神の正体も不明な謎だらけの神社なのです。それは、戦災や火災で文献資料のほとんどが失われてしまったために、『続日本紀』や『吾妻鑑』といった歴史書に散見される記述しか頼りにできるものがないためです。こうした文献資料が乏しいケースでは、神社の構造や地形に着目するレイラインハンティングの手法が威力を発揮します。
じつは、寒川神社は個人的にもとても思い入れのある神社です。というのも、ここは、私が本格的にレイラインハンティングで聖地を探索するようになった最初の神社だからです。今から20数年前の春分の日、富士吉田の浅間神社を起点にして、当時はまだ信頼性があまり高くなかったGPSを友人が苦心して補正しながら、「御来光の道」をトレースして寒川神社まで辿り着いたのです。
このとき、断続する古い街道を繋ぎながら道が続き、地図で見ただけではわからない様々な記号を発見して、古の人たちが後世に残そうとしたメッセージに触れることができて、以来、そうした探索の虜になったのです。
早朝に出発して、長い道のりを辿って、夕方、寒川神社に到着すると、かわたれの薄闇の中に灯籠が光り、その先に続く参道の向こうに寒川神社の社殿が厳かに待ち構えていました。そして、社殿の斜め後方には、夕日の残光を切り取るように、相模国の象徴である聖山「大山」のスカイラインが浮かんでいました。その光景には、御来光の道の沿道にあった古の人たちが残した記号を集大成した、重要なメッセージが秘められているように感じたのでした。
●寒川神社の祭神とその意味●
寒川神社の祭神は「寒川比古命」と「寒川比売命」の二神とされています。ところが、これは、明治九年(1876)に教部省の「官社祭神考証」の撰により決定されたもので、近世には、八幡神や澤女(さはめ)神、素盞嗚命、稲田姫命と男神とも女神ともつかず、かなり混乱していたようです。
『吾妻鏡』には「一宮佐河大明神」と記され、寒川神社の別当寺とされてきた安楽寺の資料には「寒川大神」と記されているので、男女二神ではなく、もともとは性別の定かでない「寒川神」が単体で祀られていたのでしょう。
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