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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.117
2017年5月4日号
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◆今回の内容
◯世界宗教の成り立ちと聖典 その1
・中華思想
・インドの宗教
・ゾロアスター教
◯お知らせ
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世界宗教の成り立ちと聖典 その1
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先月は、満開の桜の樹の下で、山の神が里に降りて田の神になる「サ・クラ」の情景を想像しました。
ゴールデンウィークまっただ中の今、眩しい新緑に彩られた林とその中を飛び交う鳥たちの鳴き声や田に響くカエルの鳴き声に、生命の息吹をひしひしと感じます。そして、こうした季節の移ろいを身近に感じて生きてきた人類が、この自然を司る偉大な存在を想像したのはあたりまえだろうなと思わされます。
今、世界を見渡すと、様々な宗教があり、それぞれの宗教が信奉する多様な神や超自然の存在の概念があります。残念ながら、それらは共存するよりも、対立軸になってしまっているケースのほうが多くなっています。信じる宗教の違いだけでなく、同じ宗教でありながら経典解釈の違いや宗祖に繋がる系譜の違いなどから、近親憎悪とも言える対立も起こっています。
日本でも、明治以降に出来上がった国家神道が息を吹き返してきそうな不気味な情勢になってきていますが、それも含めて、そもそも様々な宗教の成り立ちを振り返ってみる必要があると思います。
そこで今回と次回は、とくに「世界宗教」といわれるグローバルな広がりを持つ宗教を中心に、その成り立ちとその経典について概観してみようと思います。
【中華思想】
世界四大文明の一つである黄河文明揺籃の地である中国は、その後、長い間、世界でもっとも文明の発達した場所でした。その中国で、はっきりと宗教観が整備されたのは、紀元前17世紀に夏を滅ぼして成立したと伝えられる殷でした。
殷は考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝で、甲骨文字を作り、青銅器文明を発達させました。
殷は、元々、長江中下流域の稲作文化の発展を背景にして起こり、これが黄河中流域にまで及びました。稲作を行うためには暦が欠かせません。暦の軸は太陽ですから、当然太陽信仰が生まれてきます。殷王は太陽の子孫として「帝」を名乗り、神界と人間界を自由に行き来できる存在とされました。殷の後期には、多くの生け贄を捧げる鬼神信仰が盛んになりますが、その祭祀に用いられたのが様々な大きさや形の青銅器でした。
殷は、500年あまり続きますが、最後には鬼神信仰に傾倒しすぎたために、国力が疲弊し、BC1023年、新興勢力である周によって滅ぼされます。
周では、殷の行き過ぎた鬼神信仰を反面教師として、太陽信仰は変わらないものの、神を「天」として人智を越える存在に格上げし、王と切り離します。殷の祭政一致政体から祭政分離に変わったのです。しかし、周は、青銅器を殷から受け継いで作り続けます。周の青銅器も祭祀道具として使われましたが、鬼神信仰とは関係なく、まったく象徴的なものとして使われました。
青銅器には金文が彫ってありました。金文は、甲骨文字から発展したもので、後に漢字に発展する原型となります。殷の時代から青銅器を作り金文を彫る職人は、金文職人と呼ばれ、王朝の書紀も務めました。そして、殷も周も、金文職人を囲い、けして表には出しませんでした。
青銅器は祭祀道具として使われると同時に、論功行賞として諸侯に下賜されます。これを下賜された諸侯にとっては、非常な名誉なのですが、金文自体が秘密にされていたため、これを読むことができませんでした。
BC771年、北方遊牧騎馬民族である犬戎が侵入して周は滅ぼされます。このとき、金文職人たちは地方に散り、諸侯の元に身を寄せました。青銅器に刻まれた金文の意味を知りたかった諸侯は、金文職人を歓迎し、彼らを保護します。そして、周室から下賜された青銅器に彫ってある金文の意味を知ることになります。
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