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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.106
2016年11月17日号
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◆今回の内容
◯縄文の響きと日本人の自然観
・文字や言葉を超える「縄文の響き」
・日本人の自然観
◯お知らせ
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縄文の響きと日本人の自然観
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アーティスト今野絢さんの個展が新橋で開かれています。"Tuning Exist"というタイトルのこの個展のモチーフは「縄文の響き」です。
あるとき、そのExist[存在]は降りてきた。随分と前だ。
以来、時々描いたり造ったりしてきた。
それは、人だったり、物体だったり。
モノリスやリンガのようなシンボルだったり。
自分でも何なのか解らなかったが…。
それは、簡単に Tuning Fork [音叉]なのかもしれない。
宇宙の全ては波動(バイブレーション)、リズムだ。
その象徴と理解した。
呼吸のリズム、色の組み合わせのリズム、
異を融合するリズム、自分の細胞のリズム。
それらを大宇宙のリズムに合わせる。
これからの世界、価値観の大変革が起こるらしい…。
真の平和に向けて。
そして、縄文のアートの精霊「シャグジ」が降りてくるまで。
色と色を融合し微妙に微妙に自分を
Tunig[調律]していこう。
("Tuning Exist"パンフレットより)
初めは、音叉のような形のオブジェが縄文のシャクジ(石神)のように屹立していて、それが次第に解体・溶融してゆき、さらに色彩と融合していく。そんな連作の絵に囲まれた空間に佇んでいると、不思議な共感覚を覚え、五感を越えた心地いい響きに包まれている気がしてきます。そして、縄文の時代はこうした感覚を日常的に生きていたのではないかと思えてくるのです。
この週末の19日には、聖地写真家の久保田光一さんと宝珠悉皆師(人や場に合わせた祭祀的装身具としてのジュエリーをプロデュースするアーティスト)の那須勲さん、そして今野さんと一緒に個展会場で縄文についてのトークライブをさせていただきます。
面白いことに、私の周りでは数年前から縄文時代の精神性に興味を持って、それをテーマにした作品を造る友人が増えています。最近になって、それは一つのムーヴメントとなって、広がってきているようです。今野さんの個展会場の一つ下のフロアではアイヌ文化の展覧会が開かれていますが、アイヌ文化も縄文からリニアに続いてきた精神を表現したものとして、注目を集めています。
縄文については、以前この講座でも『縄文の聖性』(第91回)という記事を書きましたが、今回は、縄文トークライブにちなんで、再度縄文に焦点を当て、縄文の聖性が今の日本人にどのように受け継がれているかを紹介してみたいと思います。
【文字や言葉を超える「縄文の響き」】
今野さんの個展に伺って、その作品と向かい合ったとき、私は確信したことがありました。それは縄文時代は文字や言葉を超えた「響き」の言語を持っていたということです。
以前から、あの『火焔土器』に見られるダイナミズムに溢れた造形や、自由奔放な土偶たちの姿、そして大地に打ち立てられた巨大な石や木柱とそれが形作るコズミックな空間といったものは、縄文人たちの言語そのものではないかと感じていました。縄文の造形に向き合ったり、縄文遺跡の中に身を置くと、ちっぽけな言葉を超えた「何か」がダイレクトに迫ってきます。その「何か」が「響き」なのだという気がしたのです。
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