健康の話というのは、妙にエキセントリックだったり、おかしな政治色を帯びていたり、出所不明な上にデータも信憑性のない都市伝説的なデマだったり、まがい物の代替医療だったりと、どうも胡散臭いものばかりが蔓延している印象がある。
健康と環境を冷静に考えさせてくれるものとしては、環境ホルモンの問題を赤裸々にしたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』や環境共生型のライフスタイルを実践的に解説したビル・モリソンの『パーマカルチャー』といった著作が、納得できる内容をもった数少ない主張だった。
もっとも、それらは自分が今すぐ実生活を改善するために活かせるものでもなく、生活改善のための強いモチベーションにつながるものでもなかった。
その点、本書は声高に環境汚染に警鐘を鳴らしたり、食糧生産産業の陰謀だなどと陰謀論めいたところは皆無で、生物進化論を専門とする著者が、人類の体と心の進化と現代文明のギャップを淡々と説明しているので、いちいち納得しながら読むことができる。そして、自分の体にそのまま置き換えて考えることができるので、すぐに実践しようという動機を持たせてくれる。
最初期の人類が現れたのが600万年前。そこから狩猟採集民としてずっと進化を続けてきた人類が、農業革命によって食糧や富の余剰生産という新しい生活スタイルに転換したのがほぼ1万年前。ざっくり言えば、599万年に渡って狩猟採集生活にベストマッチするように進化してきて、直近1万年が農業民としての進化の期間になる。
狩猟採集生活時代の人類は、食料を見つけたら、次に食料をすぐに見つけられる保証がないので、その場でできるだけ多くの食料を摂取して、これを脂肪として蓄えるように、心身のシステムがプログラムされている。脂肪は妊娠能力を高めるという意味もある。さらに、怖がりで、心配性で、ストレスを抱えやすいという人類の特徴も、野山で危険を避けるため、危険に対処するために育まれた狩猟採集生活への適応に他ならない。
つい昨日までブッシュで生きてきて、今日から急に都会暮らしを始めたようなものだから、体も心も周囲の状況に戸惑い、解離を起こしてしまうのはあたりまえだ。
では、もとのブッシュでの生活に戻ればいいのかというば、それは農業・産業社会化が地球を覆いつくしてしまった今は不可能だ。リーバーマンは、古い体質を抱えたままの人間が新しい環境に適合するためには、狩猟採集民として進化した体と心を自分で意識して、ものに溢れたこの世の中で、必要なものを選り分けて、それを摂取し、狩猟採集民であることを自覚して体を動かすことで健康的な生活を送ることができると語る。
本書を読んで、自分が狩猟採集民としての体と心を持っているということを自覚すると、不思議なことに、食べ物を目の前にしても必要なだけ必要なものを摂ればいいという気分になり、暴飲暴食をしないようになった。また、「健康のために必要だから運動する」というのではなく、「本来の狩猟採集民としての本能を満たすために走る」と思うと、走ることが楽しい日課となった。
リーバーマンの論調は、デジャヴュを感じさせるものがあって、何なのかと考えたが、それは"Born to Run" (クリストファー・マクドゥーガル)に似ているのだと思い至った。本書のあとがきには、リーバーマンはまさに"Born to Run"に刺激を受けて、ベアフットランニング(裸足ランニング)をするようになり、その効果を測定して論文にまとめ、"Born to Run"の内容に理論的な裏付けを与えたと紹介されていた。
ぼくも"Born to Run"に刺激を受けて、ベアフット系のフラットソールのシューズを履いて(純粋なベアフットまでは行きついていない 笑)定期的なランニングをするようになったので、余計にリバーマンの主張がしっくり腹落ちした。
まだ未読の人は、まず"Born to Run"を読んで、本書を読めば、狩猟採集民マインドにスイッチするいいきっかけになるだろう。
" Born to Run " 書評
http://obtweb.typepad.jp/obt/2010/05/borntorun.html
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