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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.71
2015年6月4日号
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◆今回の内容
1 神道について
じつは日本オリジナルではない「神道」
密教と神道
国学と神道
2 お知らせ
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神道について
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「神道は宗教ではない」とはよく言われる言葉です。特定の経典を持たず、神事の作法もバラバラで統一性のない神道は、整備された宗教と比べると実態が無いように見えます。崇める神の姿も曖昧で、いわゆる『神道信者』と呼べるような信徒も存在しない。そんな曖昧な存在である神道は、宗教と呼ぶことはできないという意味です。
私は、そんな神道を説明するのに、「日本古来の自然信仰が長い年月をかけて神道という形に整備されていった」と表現してきました。縄文時代をルーツとするアニミズム的な自然崇拝が神道の根源にあり、それが様式化されて現代に残る神社に伝えられていると。
でも、そう自分で言いながら、それでは言い表しきれない齟齬があることも感じていました。どういうことかというと、神社の全てが山や木や岩といった自然物をご神体とするわけではなく、人を祀ったものもあれば、縄文時代からの自然信仰の場所に作られているものであっても、本来、ご神体とするはずの自然物に背を向けたり、邪悪なものとして扱っているようなケースがあるからです。とくに東北地方では、古来からの自然信仰の聖地に神社を築くことで、その土地に秘められた力を封じ込めるように見えるケースが多々あります。
また、明治維新で確立され、後に日本を戦争に導いていくことになる「国家神道」のイデオロギーは、縄文の自然信仰などとはかけ離れたところにあります。
では、神道とは何なのか?
今回は、自問も含めてそんなテーマを深堀りしてみたいと思います。
【じつは日本オリジナルではない神道】
伊藤聡は、『神道とは何か』(中公新書)の中でこう述べています。「現代の神道の姿が、一見素朴に見えたとしても、それは古代のプリミティヴな自然崇拝の残存ではない。それは、中世、近世、近代における神道の形成・展開過程において再解釈、再布置された結果として装われた「古代」なのである。なぜなら仮構された<固有性>への志向こそが神道の基本的性格なのだから」。
私がいろいろな場面で説明してきた神道についての解釈は、みごとに一刀両断されています(笑)。しかし、本書を熟読することで、私が「神道」という言葉に対して抱いていた齟齬が解消されたので、むしろ一刀両断されたことが爽快でした。
日本の中世史が専門の伊藤は、「神道」という言葉自体に着目し、この言葉がいつから使われるようになり、時代の変遷とともにこの言葉の意味がどのように変わっていったかを分析することで、神道というものの意味を探っていきます。
現在一般的に使われている「神道」という言葉を既定のものとして、その思想や理念を追求していこうとすると、それこそ八百万の神々の世界で煙にまかれてしまい、「神道は宗教ではない」という出発点に舞い戻ってきてしまいます。その点、伊藤は概念からではなく、言葉の出典という客観的なポイントから出発することで、そうした堂々巡りの呪縛から逃れて、神道をドライに分析することに成功しています。
私が行うレイラインハンティングという手法も、聖地の配置という客観的な基準から入っていきますので、伊藤のこの手法に、「なるほど、その手があったか」と膝を叩いてしまいました。
「神道」という言葉がはじめて登場するのは『日本書紀』です。そして、それは日本のオリジナルな言葉ではなく、中国からの借用したものでした。出典は、『周易正義』の次のような記述です。「神道は微妙にして方無し。理に知るべからず、目に見るべからず。然る所以を知らずして然る。これを神道と謂わん」。もう、この時点ですでに、神道とは自然が持つ力であり、目に見えるものでもなく理屈で理解できるものでもなく、ただ先験的に存在するものを感じるものなのだと、本質的な部分は語られているのです。
そうした「淡い存在の感知」ともいえる神道に、後から様々な意味を重ねていったのが日本の神道だったというわけです。
神道が日本古来の信仰体系であると考えなければ、「神道」という言葉の元に全てを統合して考える必要もないわけです。
縄文の自然信仰の神々、身近な地主神、怨霊を祀る御霊信仰、徳川家康を東照大権現として祀るような英雄信仰、それらは、同じような神社という形で祀られてはいるものの、全く違う信仰概念だと思えばわかりやすくなります。
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