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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.62
2015年1月15日号
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◆今回の内容
1 京都の水神
龍神を祀る鞍馬寺
貴船と水神
2 お知らせ
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京都の水神
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OBTブログのほうにも書きましたが、先日、講演で京都を訪ねた折に、不思議なことがありました。
(http://obtweb.typepad.jp/obt/2015/01/kamigamo.html)
夕方から、中京区西部医師会の40人あまりの先生方を前にレイラインと京都の結界について話をさせていただいて、その後、懇親会を経て祇園で二次会の席を設けていただくことになり、タクシーに乗り込みました。
その車中でのこと。
今回、世話役を務めてくださった精神科が専門の川口毅先生と、聖地が持つ様々な性質が脳に与える影響などを話していて、話題が上賀茂神社の構造の話に及びました。講演会では、京都の結界の要となる上賀茂神社について、いちばん時間を割いて解説していたものですから、川口先生ももう少し深い内容が知りたかったようなのです。
そして、その話題に興じていると、突然、運転手さんが振り向いて、「このタクシーは上賀茂神社のご縁があるんですわ」と、話に割り込んできました。
今年は下鴨神社と上賀茂神社が21年に一度の式年遷宮の年にあたり、その記念として二台だけ上賀茂神社の神紋である二葉葵をシンボルにしたタクシーが走っていて、その二台のうちの一台がこのタクシーだというのです。
「お客さん、運がええわ。1200台のうちの2台だから、滅多に出会わんのですよ」。
運転手さんも、ぼくたちがいきなり上賀茂神社の話をはじめたことにとても驚いたようで、お互いに「不思議な御縁ですねぇ」と感じ入っていました。
このタクシーのレシートを上賀茂神社の社務所へ持って行くと、特別な記念品と交換してくれるとのことで、それをいただきましたが、これは上賀茂神社の神様に「近々、また来いよ」と誘われているのでしょうね。
今回の講演は質疑応答も含めて1時間あまりだったものですから、京都の聖地や結界について、ほんの触りしか話ができませんでした。先生方は、もっといろいろ知りたいと思ってくださったようで、今度は、丸一日か一泊二日で、市街地の北側を巡ろうといった話になりました。
式年遷宮の行われる上賀茂神社と下鴨神社も御所の北に当たり、さらに比叡山、鞍馬山、貴船神社も北に当たります。古代から平安京創建の中世に至るまでは魑魅魍魎の住む化外の地とされていた場所で、それらの魑魅魍魎を神として祀り、桓武に祟りなしていると考えられた弟の早良親王の霊をそのテリトリーに封じ込めたのが、京都の結界です。
上賀茂神社と下鴨神社は山城国と呼ばれたこの地方の氏神であり、渡来民秦氏の信仰する神社ですから、その素性ははっきりしています。ところが、比叡山、鞍馬山、貴船神社となると由来そのものが謎に包まれている部分があり、とたんに「怪しい」場所となります。
比叡山は、最澄が延暦寺を開いて天台宗の本山とする以前は酒呑童子の巣食う魔の山とされていました。鞍馬寺はサナート・クマラという「魔王」が金星から飛来して開いた場所という由来を持ち、これは文字通り魔界です。貴船神社は、海の神である玉依姫(タマヨリヒメ)が、舟でここまで遡ってきて開いたとされていますが、実際に祀られている祭神は不明であり、まるでノアの方舟のような超古代の舟が社殿の下に保管されているとも伝えられています。
京都の結界の概要については、拙著でも、レイラインハンティングサイトでもご紹介していますので、今回は、とくに鞍馬寺と貴船神社に焦点を当ててみたいと思います。
【龍神を祀る鞍馬寺】
鞍馬寺では毎年5月の最初の満月の晩に、「ウエサク祭(5且満月祭)」という祭りが行われます。ウエサク祭は、釈迦の誕生と悟りを開いた日、そして入滅の日が、いずれもヴァイシャーカ (Visakha)=ウエサクと呼ばれるヒンドゥー歴の二月の最初の満月であったことに由来しています。旧暦では四月十五日で、太陽暦に当てはめる
と四月から五月にかけての満月にあたることから、5月の最初の満月の日に定着しています。
ウエサク祭自体は、アジア各地の仏教寺院でも行われていますが、鞍馬寺のウエサク祭は、御神体山である山の中にある龍神の池から汲んだ聖水に満月を写して、それをいただくことで神秘的な力が授けられるとされいて、呪術的な色彩の濃いのが特徴です。
鞍馬寺は、奈良時代末の770年に、鑑真の弟子である鑑禎により毘沙門天を祀る小さなお堂が設けられたのが始まりだとされています。
鑑禎は、ある日霊夢を見て、山城国の北方に霊山があると告げられます。山城国の山奥に分け入った鑑禎は、先に見える山の頂に宝の鞍を乗せた白馬の姿を目撃し、その山を鞍馬山と名づけて、ここを聖山とします。そして、鑑禎はその頂きを目指しますが、その途中、鬼に襲われて殺されそうになってしまいます。あわやという瞬間、傍らの大木が鬼に倒れかかり、鬼はその下敷きになって死んでしまいます。翌日、鑑禎がその場所を再び訪れみると、そこには倒木の代わりに毘沙門天の像がありました。鑑禎はそれを祀ったのだとされています。
その後、平安時代の延暦15年(796)、東寺の造営の任に当たっていた藤原伊勢人の夢に現在の鞍馬寺からほど近い貴船神社の神が現れて鞍馬寺を建立するよう託宣し、鞍馬寺が整備されたと伝えられています。
藤原伊勢人が建立した鞍馬寺は、平安京を守護する目的で、御所の北方に配置され、寺は御所を向けられたとされますが、実際に寺が向いているのは、拙著やレイラインハンティングサイトで記した通り、桓武天皇の弟で、怨霊となって兄を苦しめた早良親王(諡されて崇道天皇)を祀る崇道神社です。鑑禎が鞍馬山で鬼に襲われたといった話からは、ここが魔界であり、その魔を持って早良親王の怨霊という魔を封じようとしたのだという意図が見えてきます。
その後、鞍馬寺は真言宗の門下に入り、さらに天台宗に改宗して戦後にまで至りますが、戦後は鞍馬弘教として独立し、独自の教義を開きます。
現在の鞍馬寺では、本尊は「尊天」とされています。本堂の内には中央に毘沙門天、その右に千手観世音、左に護法魔王尊が安置され、この三身を一体として「尊天」として称します。「尊天」は「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとされ、毘沙門天は「光」を象徴する「太陽の精霊」、千手観世音は「愛」を象徴する「月輪の精霊」、魔王尊は「力」を象徴する「大地(地球)の霊王」と位置づけられています。中でも、魔王尊が鞍馬寺の力の中心とみなされていることから、この土地にみなぎる「魔」的な力が鞍馬弘教によって復権されたものともとることができそうです。
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