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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.42
2014年3月20日号
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◆今回の内容
1 奥出雲に見る聖地のネットワーク
・奥出雲の神話
・奥出雲の神社ネットワーク
・
3 お知らせ
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奥出雲に見る聖地のネットワーク
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今週は、以前から興味のあった奥出雲へ行ってきました。
広島県と境を接する奥出雲町は、古代のタタラ製鉄の土地として
有名で、宮﨑駿の「もののけ姫」に登場するタタラ場のモデルとさ
れた場所でもあります。もののけ姫では、タタラ製鉄を行う集団は、
山を切り崩して自然を荒廃させ、さらに作り出された鉄で武器を作
る集団としてネガティヴな描き方がされていました。
奥出雲では、古代から、良質の砂鉄を得るために、山を削り、豊
富な水系を利用して、鉄穴(かんな)流しという方法で砂鉄を含ん
だ砂を川に流して、製鉄の原料である砂鉄を得ていました。
そんな方法からイメージされるのは、足尾銅山などに典型的な、
荒廃した山と、鉱毒を含んだ水で田畑の育たない荒れた流域の風景
で、それはまさにもののけ姫で描かれた風景です。しかし、実際の
奥出雲は、樹木の生い茂った中国山地の山々に囲まれ、清流を中心
に棚田が広がる、長閑でさわやかな空気が漲る場所です。さらに、
棚田の中にポツンポツンと点在する農家は、いずれも屋敷森に囲ま
れ、大きな母屋に納屋と蔵を持つ立派な構えの家ばかりで、一見し
て経済的に潤った地域であることがわかります。
奥出雲のタタラ製鉄では、砂鉄を得るための鉄穴流しによって、
上流部からミネラルを大量に含んだ土が下流に運ばれ、それが流域
に堆積して、水田を作るのに格好の土地となったのです。さらに、
タタラ炉を高温にするために使う材木を切り出した山には、即座に
木が植えられ濃い緑を保ち続けてきました。
そんな自然環境の中で作られる「仁多米(仁多郡に産するのでこ
の名で呼ばれる)」は、奥出雲の自然の象徴となっています。出雲
蕎麦の定食には、存在感を誇示するように、つやつやと輝く仁多米
の塩むすびが添えられていますし、広島から奥出雲へと向かう沿道
には、「仁多米定食」という主客転倒したメニューを掲げる食堂も
あり、宿でも、おかずよりもまず、「お米が美味しいですから、味
わってみてください」と、奥出雲の人にとって、鉄穴流しによって
生まれた肥沃な土地の恵みである米が、何よりの自慢のようです。
たしかに、仁多米は塩むすびだけでおかずが何もいらないほど美味
しい米でした。
今回は、駆け足だったため、あまりたくさんの場所を訪ねること
はできませんでしたが、奥出雲という土地に秘められた、複雑な歴
史の一端が見える聖地の構造をご紹介してみたいと思います。
【奥出雲の神話】
まずは、奥出雲に伝わる神話の話からはじめましょう。
奥出雲は、記紀神話に記された素盞鳴尊(すさのおのみこと)の八
岐大蛇(やまたのおろち)退治の舞台です。
素盞鳴尊は、『古事記』では、黄泉の国から帰還した伊弉諾尊
(いざなぎのみこと)が、日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った
際に、鼻を濯いだ時に産まれたとされ、『日本書紀』では伊弉諾尊
と伊弉冉尊 (いざなみのみこと)の間に産まれた三貴子(天照大御
神、月読尊、素盞鳴尊)の末子とされています。
素戔嗚尊は古事記では夜の食国(よるのおすくに)を治める役割
が与えられ、日本書紀では海原を治める役割が与えられたとされま
すが、それを拒否して、母神の伊弉冉尊がいる黄泉の国へ行こうと
します。このことが父神伊弉諾尊の怒りを招き、与えられた土地か
ら追放されてしまいます。
そして、黄泉の国へ降りる前に、高天原にいる姉神の天照大神に
別れの挨拶をしようと訪ねますが、天照大神は高天原を乗っ取ろう
と攻めてきたと思い、武装して素盞鳴尊と対峙します。素盞鳴尊は、
姉神を攻めるつもりはないことを誓約して、高天原に留まることに
なります。しかし、高天原で思うままに乱暴狼藉を働き、これに機
嫌を損ねた天照大神は天の岩屋に隠れてしまいます。
ここまでの素盞鳴尊は、ただただ粗暴で、駄々っ子であり、荒ぶ
る神の性格を示しています。
これに続く物語では、天の岩戸に隠れた天照大御神が再び現れる
と、今度こそ、素盞鳴尊は地上に追放されます。そして、最初に降
り立ったのが出雲国の肥の川の川上に位置する鳥髪の地でした。肥
の川は「斐伊川」、鳥髪は「船通山(せんつうざん)」で、まさに奥
出雲の神名備ともいえる聖山です。
素盞鳴尊が降り立ったこの奥出雲には、元々地上を治めていた大
山祇神(おおやまつみのかみ)の子である足名椎(あしなづち)と手名
椎(てなづち)という老夫婦と、その娘の稲田姫(いなたひめ)が
住んでいました。
老夫婦は姫を中に置いて泣いているので素戔鳴尊が訳を尋ねると、
「この地には、眼はまっ赤なホオズキのように赤く燃え、八つの頭
と尾をもち、その身にはコケまた檜・杉が生い立ち、体の大きさは
八つの谷を越えて渡り、その腹はことごとくいつも血にただれてい
る高志(こし)の八岐大蛇(やまたのおろち)が住んでいて、年ご
とにきては、つぎつぎと娘を食らってしまいました。今年は八人目
のこの娘の番にあたるので、泣き悲しんでいるのです」と答えまし
た。
素戔鳴尊は、これを聞いてあわれに思い、稲田姫を妻にし、八岐
大蛇から隠すために彼女を小さな湯津爪櫛(ゆつまぐし)に変身さ
せて、髪のすずらに隠します。そして、老夫婦に命じて八塩折(や
しおおり)の酒を造らせ、垣根の八ヶ所の門ごとに桟敷(さじき)
をつくり、そこに一つずつ酒をなみなみと注いだ酒船を置かせまし
た。
八岐大蛇は、稲田姫を食らおうと現れますが、素盞鳴尊の策略に
はまり、八つの首が一度に酒船の酒を飲み干して、酔いしれて眠っ
てしまいました。素戔鳴尊はここで十拳剣(とつかのつるぎ)を抜
きはなって、八岐大蛇の首を落とし、これによって肥の川はまっ赤
に染まりました。最後に、その尾を落とすと、体内から大太刀が出
てきます。
素戔鳴尊は、この太刀を天照大御神に奉り、これが天孫を象徴す
る三種の神器「天叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」となり、
現在の名古屋の熱田神宮のご神体となったとされます。
八岐大蛇を退治した後、素戔鳴尊は、稲田姫との宮殿を須賀(大
原郡内)の地に造り、足名椎(あしなづち)をこの地方の首長とし
て治めさせます。この国が葦原中国(地上世界)であり、素盞鳴尊か
ら数えて七代目子孫が大国主命(おおくにぬしのみこと)であると
されます。この大国主命は、天津神に国を譲り、自らは出雲大社の
祭神として祀られるというのが、記紀神話に語られる『国譲り』の
くだりです。
また、日本書紀には、素盞鳴尊とその息子である五十猛(いそた
ける)が新羅に渡り、そこで様々な植物の種を持ち帰って、荒れ果
てた国土に撒き、それが芽吹いて、国土が緑に覆われたという八岐
大蛇退治の後日談もあります。
天上界で乱暴狼藉を働いた荒ぶる神の素盞鳴尊が、地上に降りる
と何故か性格を一変させて、八岐大蛇を恐れる老夫婦と娘を救い、
さらには、天照大御神との間に諍いなどまるでなかったかのように、
自らが獲物とした天叢雲剣を惜しげも無く献上します。天照大御神
のほうは、そんな素盞鳴尊の子孫の大国主命から、無慈悲に国を取
り上げてしまいます。
素盞鳴尊と五十猛が国土に緑を漲らせるというのも、高天原に在
って乱暴狼藉を働いた素盞鳴尊のキャラクターとは相入れません。
記紀神話は様々な矛盾に満ちた物語ですが、奥出雲を語る部分で
は、とくにそれが顕著です。
***続きは「聖地学メールマガジン」で
http://www.mag2.com/m/0001549333.html
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