□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.36
2013年12月19日号
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆今週のメニュー
1 聖なる方位
・アポロン軸とディオニュソス軸
・南北軸と東西軸の本来の意味
・蘇りの土地「熊野」
2 お知らせ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
聖なる方位
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
昨夜から今日にかけて、関東でも雪になるという予報でしたが、私の住むさいたま市では、ずっと氷雨で銀世界を見ることはできませんでした。
冬の寒さが本格的になってくると、7年前にNBS長野放送の特番「レイラインハンティング」で、雪の信州で震えながら取材したことを思い出します。白馬に点在する「風切地蔵」を訪ね、廃れた善光寺街道の峠を目指して吹雪かれ、八方尾根ではブリザードの中、ストックを風に飛ばされながら這うようにしてGPSで測量し、戸隠神社の奥社への長い参道を、吐いた息が結氷する未明の寒気をついて辿って行きました。
若い頃から、アウトドアや二輪のオフロードレースが趣味であり仕事にもしていた身としては、こうしたサバイバル的なシチュエーションに遭遇すると気分が尻上がりに高揚してきます。インディ・ジョーンズのように、殺人トラップをかいくぐって核心に到達するのは、さすがに願い下げですが、過酷な自然環境を克服して目標に辿り着くと、独特のカタルシスがもたらされるものです。
日本には、山岳信仰をルーツにする聖地が多く、「奥宮」と呼ばれるようなもっとも秘められた聖地は、急峻な山の頂や険しい懸崖に穿たれた洞窟のような場所にあります。肉体を酷使し、足を滑らせれば転落して死んでしまうような場所を張り詰めた神経で通り過ぎ、ようやくご神体や本尊が祀られた核心部に到着すると、それまでの極度な緊張がふいにとれ、体の内側から言葉にできない歓喜の思いが湧き上がってきます。
その瞬間、そこに至るまでの「俗」な自分がどこかへ消え失せ、「全能感」ともいえるような超人的意識に包まれます。そして、目の前にあるご神体や本尊とともに、自分を取り巻く自然が、何かの奥義を開示してくれているように感じます。それは典型的なナチュラルハイの状態だともいえますが、たとえば過換気やアイソレーションタンクなどのトランスパーソナルの手法で至ったナチュラルハイでは、それで至った超感覚的な印象がすぐに薄れて、虚脱状態に陥ってしまうのに対して、肉体と精神を酷使して至ったものでは、確かな体験として心のそこにストンと落ち着きます。
この冬も、そんな体験を求めて、雪に閉ざされた聖地を目指そうと考えています。
さて、前置きがまた長くなりましたが、本題に入りましょう。
今回は、聖地を設計する際に、どのような意識で方位が扱われていたのかを、掘り下げてみたいと思います。以前、風水の四神相応が東西南北の方位に対応していることは解説しましたが、今回は、古代の都市造りの基準線となった、南北軸と東西軸の意味にいて考察します。
【アポロン軸とディオニュソス軸】
中沢新一は『大阪アースダイバー』の中で、大阪の中心街の構造は南北に走る「筋」と東西に走る「通り」が整然とした軸線を構成していて、京都の町並みの構成を考えれば、ごく当たり前の都市計画のように見えるけれど、大阪は南北軸よりも東西軸が強い特殊な構造をしているのだと記しています。
南北を貫く軸線は、都市の北側に位置する王城から真っ直ぐ南に伸びるラインを表し、大阪では難波宮に発した朱雀大路が都城の外まで伸びて、そのまま南に向かう難波大道に接続しています。これを中沢は「アポロンの軸」と呼びます。なぜアポロンを引用したのかは、「アポロンの原理は、生命力が美しい形と威力をもって立ち上がる様を表し、王城はその原理の建築による表現であり、そこからまっすぐに南北に伸びる大道は、威力にみちた王の生命力が、その方向に力強く放射されていく様子を目に見える形であらわしている」と説明しています。
中沢は、この難波宮に発するアポロンの軸を、東西に走る「大津道」が寸断するのが大阪の特徴だとします。本来なら、王城からまっすぐ南へ伸びる南北軸の先に、王家の墓が造られ、王家の力が永遠であることを象徴しているはずなのに、大阪では大津道の東の生駒山山麓に「王家の谷」とも呼べる古代の権力者たちの古墳がひしめいていて、アポロン軸を歪めているというのです。
東西の軸は、太陽が昇り、そして沈んでいく道筋であり、生と死の循環を表しています。大阪の中心を貫く東西軸=大津道の東に死の谷があり、東から昇る太陽は、すでに死の予感を含みながら、大阪の街を通り過ぎ、西に沈んで本物の死を迎えます。しかし、それはまた死の予感を含みながら、また東から再生してきます。
死と再生という循環は、永遠性を求める権力者にとってはタブーでした。なぜなら、それは自らの権力が滅んで、また別の権力が取って代わるということを表しているからでした。
中沢は、この大阪という土地の性格を決定づける東西軸を「ディオニュソスの軸」と名付けます。「国家よりもはるかに古い時代から生き続けている、人類の生と死の円環の思想は、古代ギリシャではディオニュソスと呼ばれ、インドでは今もシヴァと呼ばれている…この軸線が発する力は、近代人のものの考え方の原型でもある、円環を否定する権力者の死の思想さえもねじ曲げてしまう底力を持っている。その力が、古代のプロト(前)大阪のみならず、現代の大阪人の心性の中にもしぶとく生き続けている…」。『大阪アースダイバー』はそうした視点に立って、大阪ではなぜ権力者が主役ではなく、庶民が主役であるのか、そして、風俗文化がディオニュソス的であるのかを説いていきます。
中沢新一という人は、旧来の理論を少し斜に構えた視点から見直すことで、秘められたものをあぶり出すという神業的な「芸」を持っています。大阪の庶民文化の源流が、古代の街の構造に発しているという発想は、非常に面白く、前作『アースダイバー』以上にスリリングな読書体験をもたらしてくれます。
なんだか書評のようになってしまいましたが、話を先へ進めましょう。中沢が「アポロン軸」と「ディオニュソス軸」というふうに、言い換えた「南北軸」と「東西軸」は、そもそもが道教的な発想から生み出されたものでした。
続きはメルマガにて
http://www.mag2.com/m/0001549333.html
**メルマガの価格改定して、ご購読いただきやすくなりました
コメント