2013年がもうすぐ暮れようとしている。
この一年を振り返えって一言で表すならば、「流転」という言葉がいちばんふさわしいかもしれない。
春から夏、そして秋にかけては、やりがいのある仕事に取り組み、仕事に生きがいを持つ素晴らしい人達とたくさん出会えた。また、久しぶりに長い一人旅をして、自分が今ライフワークにしているレイラインハンティングのそもそもの出発点だった、土地に潜む個性に魅せられた若い頃を思い出した。
寒さを感じはじめる頃、20代の頃に関わりのあった人物が亡くなった。
彼、戸井十月氏とはオートバイを通して知り合い、そのうち、彼の冒険旅行をサポートするようになった。レースやツーリングであちこち出かけ、海外にも同行するようなってしばらく経つと、間近で見る彼の言動と、後に彼がメディアに発表する文章や映像とのギャップに違和感を持つようになった。そして、まだ血気盛んだったぼくは、彼の虚飾に蔑みの気持ちを募らせた。
そしてある時、自分の気持ちを罵り言葉として彼にぶつけ、袂を分かった。そのことがもとで、駆け出しのライターだったぼくは、一時業界から干されることになった。
そんな最中、ようやくありついた仕事で、風間深志氏の事務所を訪ねると、戸井氏との経緯を知っていた風間さんは、「内田君もしぶといねぇ」と豪快に笑って、仕事に復帰したことを喜んでくれた。
それから長い長い年月が流れ、自分が中年になってみると、戸井氏が「冒険家」という看板を掲げたばかりに、それに縛られ、辛い思いをしていたのだろうと想像できるようになった。どこかで会ったら、若い時の無礼な言葉について、一言謝りたいと思っていた。
だが、袂を分かってから25年間、結局、一度もまみえることはなかった。
彼の訃報に接してからしばらくしたある日、風間さんから電話をもらった。風間さんも、昔、戸井氏と関わっていた時期があったので、せめて献花しようと、ぼくが住所を知らないかと連絡をくれたのだった。さすがに、ずっと音沙汰もなく住所も覚えていなかった。風間さんとは、そのまま昔話になり、ぼくは、今さらながら、ひどい言葉を投げつけたと反省しているんですよと、気持ちを吐露した。
すると風間さんは、「戸井さんもさ、もう仏さんになっちゃったんだから、この世のことなんてなんとも思ってないよ。成仏して幸せで、忘れちゃってるよ」と、慰めてくれた。その風間さんの言葉で、心がとても軽くなった。そして、戸井さんの冥福を心から祈る気持ちになることができた。
自分だって、常に正々堂々と生きていられるわけではない。卑屈にもなれば、怯えることだってある。図らずも人に迷惑をかけてしまうこともあるし、人から蔑まれることだってある。そんなこんなを経験してきた今、生意気で厚顔無恥だった若い頃の自分を反省している。
年も押し詰まったつい先週、ある裁判が結審した。
5年前、昭文社でオートバイツーリングの雑誌の創刊に関わった。「ツーリングマップル」という情報地図から派生した雑誌で、1年以上前から、昭文社の名物編集者桑原和浩さんを中心に、ぼくとデザイナーの大熊義則さん、さらに昭文社の様々なセクションの人やツーリングマップルの著者陣と一丸となって企画の立ち上げに取り組んできて、ようやく形になろうとしていた。
その雑誌の編集ととりまとめをある編集プロダクションに依頼したのだが、蓋をあけてみると、仕事が杜撰で納期も守らず、危うく創刊号が締め切りに間に合わないという状態になった。そこで、このプロダクションには任せられないと、内製の比率を高め、他のまともなプロダクションに編集作業を依頼した。
それでなんとか安定し、2号、3号と評価され、そのまま勢いに乗って、独自のツーリング雑誌として長く続けていこうとスタッフみんなが心を新たにした矢先、最初に杜撰な仕事をしたプロダクションが逆恨みをして、昭文社を提訴した。
このため、いきなり雑誌は躓き、裁判沙汰が終息するまで休刊という決定が下された。
だが、先方の理不尽な訴えに昭文社側は反訴し、その後、先方の引き伸ばしなどがあって、5年にも及ぶ裁判となってしまった。
期待していた雑誌をメインの仕事にしようと思っていたぼくを含めたフリーランサーやプロダクションは、経済的に苦境になり、この5年の間にリーマンショックや311などもあって、辛い時を過ごしてきた。
裁判の結果は、逆恨みで提訴したプロダクション側が敗訴し、昭文社側が完全勝訴した。当時、雑誌の企画に賛同してくれて広告を出稿したり、景品を提供してくれたメーカーがたくさんあり、それらも某プロダクションは返還していなかったため、この5年分の利子をつけて昭文社側に返還する命令が下された。
ぼくたちにすれば当たり前の結果だが、この5年間のことを思えば、なんとくだらないことに巻き込まれてしまったのだろうと残念な気持ちはおさまらない。
それでも、ぼくたちの主張が全面的に認められ、名誉が回復できたことで、新しい年への希望も大きくなった。
他にも、いろいろ流転を感じさせる出来事があった1年間だった。風間さんの一言の他にも、身近な友人の言葉に勇気づけられもした。逆に、心に深く突き刺さる言葉もあった。終盤になって、新しい友人もできた…。
さて、そろそろ2014年。
心機一転で、新たな年を迎えよう。
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