**大洗磯前神社楼門と東の鳥居。海から来るものを崇め、そして海そのものと真摯に向かい合う構図を示す**
海への想い
はじめて海から昇る御来光を拝んだのは、いつのことだっただろうか。
はっきり記憶に残っているのは、小学校6年生の時だった。その年の大晦日、除夜の鐘が鳴り出した頃に同い年の幼馴染であるジロチョーとデメチャンと待ち合わせ、近くにある諏訪神社へ初詣に出かけた。
篝火が焚かれた参道を通って、三々五々集まってくる近所の人たちに混じって子供たちだけ三人で深夜に歩いていると、少し大人になったような気がした。
お参りを済ませて、参道を戻る途中、「初日の出見に行くか」と言い出したのは、ぼくだったか、あるいは隣の家に住むジロチョーだったか…その一声にみんなが頷いて、初日の出遠征が決まった。
いったん帰宅して、2時間あまり仮眠をとってから出かけようと約束したが、子供たちだけで夜の寂しい道を海まで遠征するという「冒険」を想像すると興奮してしまって、結局、一睡もできなかった。
夏にはラジオ体操の会場になる近所の野原に集まってみると、ジロチョーもデメチャンも眠れなかったようで、三人とも眠い目をこすって欠伸ばかりしていた。
海まではいくつか谷を越え、人家の絶えた森を抜け、さらに広大なスイカ畑を突っ切って10kmあまりある。野球帽にマフラー、着膨れしたジャケットに毛糸のミトンといういでたちでそれぞれの自転車にまたがり、月明かりに青白く輝く霜の降りた道を辿りはじめた。
凄愴とした月明かりの世界は、人が寝静まった後に息を潜めていた様々なものが蠢きだす鬼太郎たちの世界のように思え、ぼくたちは無意識に肩を寄せ合って、団子のようになって進んでいった。
祈りの風景ダイジェスト版の掲載は終了しました。続きは下記電子書籍版『祈りの風景』にて
**『祈りの風景』Kindle版で発売されました**
>ぬかたのおおきみさん
そう、《玄生の大杉様》です。あれが妙に怖かった(笑)
中学卒業以来35年…あっという間でしたね。私の方は未熟さはあの頃とまったく変わってませんが。
今後ともよろしくお願いします!
ところで、遠い昔で、自分が何組だったかも覚えてないのですが(アルバムも実家でどこかに埋もれておりまして)、3年5組2番さんというと?
投稿情報: uchida | 2012/03/08 08:51
山の中の天狗のお面は《玄生の大杉様》ですね。鉾田の子は春の大竹遠足の時、その傍を通りました。樹齢300年のクヌギの木にお面をつけ 村人の厄除け・安全祈願をしたらしいです。内田さん…いいえ、内田君の故郷話、私がよくわかるのは、私が小・中学校のクラスメイトだからです。ちょっとしたきっかけで、『レイラインハンター』に出会いました。不思議なものです。中学卒業以来35年もして、こんな再会があるなんてね。これからも ブログ、ツイッター楽しみにしてます。・・・・・3年5組2番より。
投稿情報: ぬかたのおおきみ | 2012/03/07 21:21