来月から始まるあるメールマガジンから、「おすすめの花見ポイント」という題の原稿を依頼された。
自分が今まで訪ねてきた「花見ポイント」の中から、真っ先に思い浮かんだのは、昨年の3月3日に立ち寄った根尾の薄墨桜だった。
満開の時期にも、葉桜の時期にも訪ねているけれど、まだ蕾が固く冬枯れの状態から少しだけ目覚めかけた去年の薄墨桜がもっとも強く印象に刻まれてしまった。
前日、若狭で「お水送り参加と不老不死伝説巡りツアー」を催行し、その帰路のこと。まだETCの休日上限1000円割引があったときで、その適合時間に合わせるために、下道をわざわざ遠回りして訪ねたのだった。
3日の朝は、ツアーを共同で運営してくれている若狭町の湖上館PAMCOの館主田辺さんと、次のツアーについての打ち合わせをするつもりが、何故か原発のことで何時間も話しこんでしまった。
若狭町は福島とともに「原発銀座」の代表ともいえる若狭湾に面し、今まで美浜原発の放射能漏れや敦賀の「もんじゅ」の事故などで、深刻な風評被害を受けてきた。ぼくは、東海村とその周辺の「原子力施設銀座」ともいえる茨城県の鹿島灘に面する町が故郷であり、13年前のJCO事故の記憶が、まだ生々しかった。そんなこともあって、10年近い付き合いの田辺さんとは何度か原発を話題にしたことがあったが、この日は、それまでとは違って、まるで差し迫った危機があるかのように深刻に話し合った。
そして、どことなく重い気持ちのまま別れ、向かった先が薄墨桜だった。
岐阜県北部の山間にある薄墨桜は、樹齢1500年と伝えられる堂々とした巨樹で、開花すればこの木だけで谷に春が溢れるように艶やかになり、何万人もの見物客を集める。だが、この日は、開花はまだ一月以上先で、冷たい北風に雪が交じる中で、蕾は固く、黒い樹皮が谷に宿る暗い影のように、風景の中に沈んでいた。
淡墨桜を擁するこの谷には、濃尾地震によってできた「根尾断層」がはっきりと地上に残る形で走っている。濃尾地震は、1891年(明治24年)10月28日にここを震央として発生した地震で、陸域直下型としては史上最大のマグニチュード8.0を記録。美濃、尾張を中心に7000人以上もの犠牲者を出した。今では山里の長閑な景色が続いているけれど、直撃を受けた直後は、ほとんどすべての家屋が倒壊し、山津波に襲われて、がれきと化してしまったという。
そんな大規模な被害を受けた中にあって、薄墨桜は無事だった。
影のような薄墨桜と向い合うと、濃尾地震の翌春も満開の花を咲かせ、がれきを花吹雪で覆っていた光景が浮かんできた。その日から1週間後、311の震災がやってきた。
あれからまもなく一年が経つ。
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