22日の夜、NHKで「日本人は何を考えてきたのか 第三回 --森と水と共に生きる・田中正造と南方熊楠--」という番組が始まると、ぼくのツイッターのタイムラインとフェイスブックのフィードは、この番組の中の印象的なエピソードやフレーズで埋め尽くされた。
日本が西洋と肩を並べるために、「殖産興業」と「富国強兵」を謳い、誰もが熱に浮かされたように成長へ向かって邁進していた時代に、その政策によって犠牲にされていこうとする貧しい農民やひっそりと守り続けられてきた自然を保護するために立ち上がった正造と熊楠。その姿は、311によって技術文明の矛盾を突きつけられながら、「経済成長」という人間を荒廃させる道を尚突き進もうとする大きな勢力と、新しい道を模索しようとする人間という構図にぴったりと重なり合う。
豊かさや効率ばかりを追い求めてきた結果が、安心して食べ物も口に入れられない、空気も吸えない、そして子供たちを伸び伸びと育てられないという悲惨な状態に自分たちを追い詰めているというのに、相変わらず豊かさと効率を求め続けようとする…。
既存のメディアの報道を見ているだけだと、そんな絶望的な構図しか見えてこない。そして、また同じことを繰り返すつもりなのかと暗澹たる気分になってしまうが、「いや、まだまだ諦めるのは早い。可能性は残されている」と思わせてくれたのが、ツイッターやフェイスブックだった。
田中正造や南方熊楠の時代は、間違った方向に進もうとしている趨勢を押し留める力は、二人の偉大な巨人がいながら持てなかった。でも、今は、番組を見ようという呼び掛けが奔流のようにタイムラインを流れ、番組が始まると共感できるフレーズがツイートやフィードで果てしなく広がっていった。もはや、ぼくたちは長く長く封じ込められてきたサイレントマジョリティではないんだ、ソーシャルネットというツールを使って、社会を変えることも可能なんだと、勇気が湧いてきた。
ソーシャルネットが政治的影響力を発揮する場面は、エジプトやリビアの民主化運動でお馴染みとなったが、同じようなドラスティックな動きを誘発するようなことは日本では起こるはずはないという思い込みがあった。でも、そうでもないのかもしれない。
NHKという公共メディアが、田中正造や南方熊楠といった社会改革家、社会運動家の生き様を取り上げ、彼らのスタイルを行き詰った現代社会の手本とすべきだというスタンスで番組化することも勇気があるこで、それも時代が変わりつつあることを実感させる。
ぼくがこの番組を観てすぐに思い浮かべたのは、レイチェル・カーソンだった。
田中正造は、土地が汚されることがその土地とともに生きる…土地の一部であるといってもいい…民を汚すことと同じであって、それを許してはならないと、議員の地位を擲って虐げられる農民の側に身を置いた。
南方熊楠は、はじめから人は自然と調和して生きていなければ、いずれ自らを滅ぼすことになるとわかっていた。そして人と自然の調和の象徴ともいえる鎮守の森を守ることを晩年の使命とした。
工業化社会が人間にとって利便をもたらすと信じられているときに、それが生み出す環境破壊が逆に人間を追い詰めていくことを"沈黙の春"によって告発したレイチェル・カーソン。彼女は、未完のエッセイ"センス・オブ・ワンダー"で、自然が秘めた不思議と出会い、感動する感性の大切さを説いた。
田中正造と南方熊楠の生き方に、レイチェル・カーソンが完全に重なって見えたのだ。
自然から再生不能な資源を収奪し、人工的な有害物質で自然を汚すことは、そのまま自然の一部である人間に跳ね返ってくる。そんな愚かな行為を止めるためにも、人は自然の営みの中に秘められた「ワンダー」を感じ取るセンスを取り戻さなければならないという思いを込めて、レイチェル・カーソンは、「センス・オブ・ワンダー」の心にしっとりと沁み込んでくる一編一編を記していく。
人間に利便をもたらす資源として自然を見れば、自然はモノでしかない。でも、自然は常に人に語りかけてくる生き物であると感じられれば、自分の利便のために自然を殺そうとは思わず、大切にしたいと思うだろう。
紀州の山奥にひとり篭り、生物と無生物の狭間にいる粘菌を研究することで生命現象について深く考察していった南方熊楠。彼はもちろんセンス・オブ・ワンダーを持っていた…いや、センス・オブ・ワンダーの権化であった。田中正造は人権運動を通して、農民の側に位置し、長く育まれてきた自然と共生して生きる知恵を自らも身につけることで、センス・オブ・ワンダーを取り戻した。
ぼくの座右には、いつも『センス・オブ・ワンダー』が置いてある。事あるごとに、この60ページあまりの掌編を開き、苦しい時や辛い時は元気や勇気をもらい、何かの判断に迷ったときは、指針をもらう。
中でも、何が人にとってもっとも大切なのかをきっぱりと謳う以下の一文は、心にしっかりと刻みつけている。
「子供たちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激に満ちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄み切った洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神様や不思議さに目を見張る感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです」
今こそ、みんなが「センス・オブ・ワンダー」を取り戻さなければならない時だろう。そして、「スマートな経済後退」を行いながら、経済成長でないがしろにされた大切なものに再び光を当て、今まで求めてきた「富=幸福」という構図から別な幸福を求めていくべきだろう。
>マルコさん
コメントありがとうございます!
若狭ツアーにご参加くださるのですね。
お会いできるのを楽しみにしております!!
投稿情報: uchida | 2012/02/01 10:13
すぅーっと、わが身に強さが宿るような気持ち。
お会いしたこともない方のブログに
コメントなどしたことのない私ですが、
一言、共感の思いをお伝えしたく、書き込みました。
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ミツバコさんのFBからきました。
兵庫県豊岡市に住んでいる者です。
若狭のツアーを楽しみにしています!
投稿情報: マルコ | 2012/02/01 00:33