年末から年始にかけて、底冷えする穴倉のようなアパートに一人篭り、本を読んで過ごしていた。
テレビは元よりないので見ないし、言葉を交わす相手もおらず、メールを交わすこともなく、ソーシャルメディアに繋ぐこともなく、中世ヨーロッパの写本僧のようにひたすら本と向き合い、無言の対話をしているうちに時間が流れて行った。
冷んやりとした石造りの建物が建ち並ぶバルセロナの街が舞台の「風の影」という作品。これを噛み締めるように読んでいた。再読だが、物語の大半を占めるバルセロナの冬の情景がちょうど自分の暗く寒い穴倉生活にオーバーラップして、どんどんのめり込んでしまった。
大晦日に茨城の田舎に帰省しようと思っていたが、土壇場になって気が変わり、一人、逼塞して過ごすことにした。
今から32年前の年末年始も、同じように、中野の古長屋の一室で、当時18歳のぼくは一人孤独に過ごしていた。
田舎から送ってもらった餅を電気コンロで炙り、海苔を巻いて醤油に浸して食べる。それを三食繰り返し、ほとんど表にも出ず、誰とも口をきかず、一週間あまりひたすら机に向かっていた。
その2ヶ月前に、父が死んだ。
一時は受験を諦めて、田舎に戻ろうかとも考えた。だが、中卒で苦労して公務員となった父は、ぼくに同じような苦労をさせたくないと、進学することを悲願としていた。
ぼくにとって、この年の受験は、父の弔いでもあった。
1979年10月12日、父は50歳の誕生日を病室で迎えた。それから1週間後の19日、この世を去った。
2011年1月15日、ぼくは50歳になる。もう2週間を切った。間もなく父の享年を追い越す。職場で写真好きの部下が撮ったという、少しはにかんだ父の遺影と今の自分を見比べると、すでに父のほうがだいぶ年下に見える。
昨年末、帰省の準備をしているとき、ふと、この父と目が合った。その瞬間、父の死んだ前後の情景が頭から水をかけられたように甦った。
そして、この年末年始は32年前と同じように過ごすことにして、荷物を解いた。
「風の影」は、父と子の哀しい物語であり、父と子の幸せな物語でもある。「風の影」に没入し、登場人物それぞれに自分の分身を感じ、自分の人生、父の人生を物語に照らし合わせ、不思議な数日を過ごした。
それは、亡き父から同い年になる息子へのメッセージだったのかもしれない。
>まんぼうさん
コメントありがとうございます。
父が逝った日は、朝から台風が直撃して凄まじい嵐でした。
息を引き取った瞬間、台風の目に入って、青空がポッカリ開いて、太陽が射し込みました。
まんぼうさんがこの世に生を受けた翌日は、台風一過の素晴らしい天気で、父は彼岸へつつがなく渡って行ったんだなと思いました。
まんぼうさんが私の父と入れ替わりにこの世にやってきて、私を見つけてくれたのは、不思議ですね。
亡くなって以来、あまり夢にも出てこない父ですが、こうして父が縁を繋いでくれることで、魂はいまだに見守ってくれているんだなとあらためて思いました。
父の歳を追い越し、これから父の分まで広く世の中を見渡して、表現活動を行っていきますので、よろしくお願いします!
投稿情報: uchida | 2011/01/21 09:43
レイラインに興味をもったことがきっかけで、著書やブログを拝見させていただいています。
すてきな文章をいつもありがとうございます。
1979年10月19日にお父様が亡くなったとのこと。
私は1979年10月20日に生まれました。
内田様のお父様が亡くなり、その次の瞬間に私が生まれたことになります。
入れ替わるかのように
ひとつの命が終わりを迎え、ひとつの命が始まる。
もちろん、直接存じ上げているわけではありませんが
この記事を読んで、その循環がとてもリアルに感じられました。
自分の心が、これまで築かれてきた
多くの礎とともにあるようです。
とても不思議な気もちになりました。
ありがとうございました。
投稿情報: まんぼう | 2011/01/20 21:08
>スナフキン
あけましておめでとう!
そうか、君も同じような時期に、同じような経験をしていたんだね。
ずっと親不孝ばかりしていて、一緒に酒を酌み交わすこともできず、悔いばかり残っているのはまったく同じです。
お互い、父親の分まで充実した人生を送らなければね……。
ぼくは、あと三日でついに父に追いつきます。
投稿情報: uchida | 2011/01/12 17:21
御無沙汰です。
そういえば僕の父は49歳で患い、僕は大学を中退する事になりました。それから半ば投げやりに生きていた僕を、父は一切責めずに黙したままでした。自分のせいだとの自責の念からか、すまなそうにしてたのを覚えています。僕はそういう自分に嫌気がさしたのですが、未熟だった僕は前向きに努力して父を安心させる事が出来ませんでした。
それから10年後に父が他界した時には、かけがえのない人を傷つけたまま亡くしてしまったと思ったのを覚えています。僕も10年後には、父の年齢を超えることになります。
とりとめのない事を書きましたが、記事を読んでふと父を思い出しました。
投稿情報: スナフキン | 2011/01/12 16:56
>中岡さん
コメントありがとうございます。
年末に帰省しなかったのは、単なる気まぐれで、あまり大それたことには繋がる気配はないようです(笑)
CDの件は、自分で言うのもおこがましいですが、テレビでの解説はわりとご好評いただいたので、いずれ動画でのレポートをまとめようかと思っております。
講座のほうでは、睡眠薬のような声というご感想もありますが(笑)
こよみのリズムはたしかに、旧暦や節気のほうが便宜的なグレゴリオ暦よりも生きるリズムに合っている気がしますね。
最近、中国の威勢がいいのも、旧暦ベースの社会を取り戻したからなのかもしれませんね。
今年もよろしくお願いします!
投稿情報: uchida | 2011/01/06 13:57
お父様に似てらっしゃいますね。きっとこの写真の出来事は次へのステージへの扉のようですね。そう感じました。今までの思想やルールなどの新たな再構築のような。
…以前CDを購入をしましたが、これを素敵なお声なので語りを通して何枚かにしてはどうでしょうか。音と語りとでの展開です。
…お正月は自然から切り取ったグレゴリオ暦なので体には合いません、なので、ふつうでいいんです。私も部屋で閉じこもっていろいろやっていました、周りが不自然なので、しょうがありませんね。
また湘南での講座楽しみにしています。
中岡美登貴
投稿情報: nami | 2011/01/03 12:01