ヒース・レジャーの遺作となった『ダークナイト』を観る。
人から「フリーク」、「モンスター」と呼ばれ、自らも人の心を持たない「フリーク」、「モンスター」として生きようとする。
平然と非道を行うのだけれど、勧善懲悪物語の単なる「滅ぼされるべき悪」として観ることはできない。極悪非道だけれど、 どこか途方もない哀しみを背負っていて、それが人でなしにジョーカーを追いやっている。その部分に、共感でもないけれど微妙に理解できる 「何か」を感じてしまう。
少し猫背で両手をだらりと垂らした後ろ姿や、バットマンだけに見せる相手をしっかり見つめる視線に……他の人間に対しては、 ジョーカーの視線は対象である相手を越えて、その向こうしか見ていない……ヒース・レジャーがジョーカーの中に、 救いを求めようとする微かな人間性を込めたように思えた。
それにしても凄まじい作品を作り上げたものだ。
人の本性は「悪」である。それを徹底的に暴き出そうとするジョーカー。憎しみを悪へのトリガーとして、 巧みにそれを人の心に植えつけていくジョーカー。
狂っているけれど、その狂気が純粋な狂気であるがために、知性までも純化させ、その知性が生み出す悪の計画の緻密さには「崇高」 すら感じさせてしまう。
同じようなキャラクターとして、アンソニー・ホプキンスが演じたハンニバル・レクターが思い浮かぶ。 レクターもジョーカーも深い憎しみが生み出したフリークだ。だが、レクターの狂気は、常人が「踏み込んでしまうかも」 と想像できる狂気を遙かに越えた倒錯したものだから、どこか突き放して眺めていることができる。
ところが、ジョーカーの狂気は、レクターのように倒錯してはおらず、使う手段は戦争の現場では当たり前に使われているものだし、 今アメリカが行っている戦争に比べれば「児戯」ともいえるほどのものでしかない。
ジョーカーの狂気は、それがじつは常人が陥る可能性がある狂気であるがために、底知れず恐ろしい……。
今、日本で起こっている異常な事件も、まさに「憎しみ」が生み出している。
そして、格差社会を築いて、敗者に憎しみの心を生み出すようにしむけている社会システムこそが、じつは真のジョーカーではないのか。
それにしても惜しいのは、もう、ヒース・レジャーの演技を二度と見られないことだ……享年28歳……合掌。
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