今でこそ、エコやらサスティナビリティやら、 スローライフやらと環境問題を云々する言説が当たり前のように世の中を飛び交っているけれど、昔は、「エコ」 なんてほとんどの人は気にかけず、消費経済を拡張するコマーシャリズムとパラノイアが支配していた。
そんな最中に、後々、地球環境が悪化し、人間がこの星に悪影響を及ぼすことを察知して、 今でも先鋭的ともいえる提言を行った人たちがいた。
『沈黙の春』のレイチェル・カーソン、『地球生命圏』のジェームズ・ラブロック、『遊歩大全』のコリン・フレッチャー、そして 『ホールアースカタログ』のスチュアート・ブランド……今、それらの著作のどれも経た年月からいえば、立派な古典だが、その内容は、 まだまだ示唆に溢れている。
環境問題が喧伝されても、いつまで経っても商業主義の呪縛から抜けきれず、それどころか、 商業主義の最先端が金科玉条のように環境問題を唱えて、それを商品化している。
いろいろと考えさせられることがあって、自分の原点を見つめなおす上でも、これらの古典を読み直そうと思っている。
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