幼い頃、祖母が自分の青春時代についてよく語ってくれた。
女学校に行きたかったのが、家が没落したために行けず、かわりに10代半ばで、大正時代初期としては珍しい看護学校に通って、 そこを卒業してからは助産婦として、看護学校を運営していた病院に勤めたこと。
看護学校と病院は東大の近くの西片町にあって、祖母が仕事を終えて近くを通ると、東大の学生寮は遅くまで電気がついていたという。 女学校からさらに上の学校に進むことを望んでいた祖母にとって、 夜遅くまで勉学に励む東大(当時は帝大だが)の学生たちはとても羨ましかったようだ。
94歳で大往生を遂げた祖母の遺品を整理していると、看護学校時代のノートが出て来て、 そこにはイタリア語やドイツ語の書き付けがたくさん記されていた。
祖母は、昔の人としては晩婚で、26歳で結婚したが、10代半ばから結婚までの間は、やはり当時としては珍しく、 一人で西片町の下宿で暮らしていた。
幼い頃、西片町の話はことある毎に祖母の口から出ていたので、いつしか、それは、僕自身の記憶のようにすり込まれていた。
そして、つい先日、久しぶりに知り合いのグラフィックデザイナーのことをふいに思い出し、連絡をとってみたところ、 なんと祖母の思い出の地、西片町に引っ越しして、今はそこに住んでいるとのこと。
数年前に同じ下町の根津に住んで、その時に一度パーティに呼ばれて訪ねたことがあった。それで、二ヶ月ほど前に、 芸大から根津のほうを回ったときに、彼女のことを思い出して、懐かしく思いつつ、同時に西片町も近いので、 祖母の青春時代のことも思い出したことがあった。
今回連絡をとってみたのは、SNSのぼくのエントリーに足跡を残してくれて、彼女を思い出したためだったが、 西片町に引っ越したことに加えて、そこで共同生活している夫婦が自宅出産して、この15日に娘さんが生まれたとのことで、 ぼくは二重に驚いてしまった。
1月15日は、ぼくの誕生日なのだ。
これは、「偶然」という言葉で片付けていいものなのだろうか?
それにしても、不思議な縁もあったものだと思う。
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