**若狭には、雰囲気のある神社仏閣がたくさんあります。また国宝級の文化財も豊富で、それらを巡る 「国宝巡り」ツアーが人気を集めています。写真は国宝三重塔がある明通寺**
前回、奈良東大寺二月堂の「お水取り」と若狭の「お水送り」について紹介しましたが、 二月堂のお水取りはインドからの渡来僧である実忠和尚が始めたと伝えられています。この実忠和尚は、「お水送り」 を初めた遠敷出身の良弁和尚に師事して修行しました。
そして、後に東大寺別当となる弘法大師空海は、遣唐使として中国に渡り、密教を極めて帰国するわけですが、若狭は昔、 大陸との行き来が多かった場所で、大陸の文化や思想がいち早く流れ込んでくる場所でもありました。
**常神半島の先に浮かぶ「御神島(おんがみじま)」。 ここには黄金伝説が伝わる**
中国の密教は、神仙思想の影響を受けて、錬丹術といったマジカルな技術を発展させました。「丹」とは水銀のことで、 まさに空海が目指したように、水銀を使って不老不死の妙薬を作ろうとしたわけです。
渡来僧の実忠も、やはり密教を修めた良弁も、そして遣唐使帰りである空海も、大陸と若狭と東大寺という三つで結ばれます。
この三人が何を考えて、「お水送り」と「お水取り」という儀式を考え出したのか、 若狭のしっとりとした湧き水の多い山を辿りながら思いを巡らすと、今まで見えてこなかった歴史ロマンが浮かび上がってきます。
そしてもう一人、若狭の不老不死に因んだ人物がいます。それは、徐福です。
**霧に霞む水月湖。対岸の雲谷山の麓に空海縁の「石観音」がある。……風景そのものからして、 若狭は神秘的だ**
徐福は秦の始皇帝の命をを受けて、不老不死の良薬を求めて東に向かい、日本に上陸したという伝説が残されています。 徐福伝説は日本各地にありますが、若狭湾の西端にあたる伊根に、「徐福上陸の土地」という碑が残されています。
面白いのは、この若狭から真っ直ぐ南に紀伊半島を縦断していくと徐福終焉の地とされる熊野があります。また、 お水送りの遠敷とお水取りの東大寺、空海縁の高野山もこの南北のラインに連なっているのです。
自らは不老不死を望まずして不老不死となり、死を求めて800年間彷徨った八百比丘尼。自らの不老不死を求め、 錬丹術を駆使した挙げ句水銀中毒に倒れた空海、そして、皇帝のの命を受けて、遙々日本にまで不老不死の妙薬を求めて渡ってきた徐福。 若狭で結ばれる不老不死にまつわる物語は、人の生き様の典型を象徴しているように思われます。
若狭には、不老不死以外にも浦島太郎の龍宮伝説があったり、常神半島の先に浮かぶ御神島には、埋蔵金伝説が秘められています。
豊かな自然とその裏に数々の伝説を秘めた若狭という土地は、ぼくを引きつけて止みません。
**このマップは 「スーパーマップルデジタルVer7」で作成しています**
[関連サイト]
・レイラインハンティング 「若狭不老不死伝説]
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