「月へひとりの戸は開けておく」
今日の月はまだ半月だが、岐阜県のとある酒蔵から送られてきた「秋のひやおろし」を、秋風と鈴虫の鳴き声を肴に傾けていると、 山頭火のそんな一句が浮かんできた。
世の儚さを痛いほど知って出家と放浪の道を選んだ山頭火は、一般には、常に寂しさを背負い、人恋しさを胸に秘めて、 自分をさいなめるかのように孤独に追いやっていたと思われている。
だが、この一句を味わえば、俗世の人恋しさなど超越して、もっと別な次元の「孤高の楽しみ」 といったような境地に達していたことがはっきりとわかるはずだ。
この夏から秋にかけて、ぼくは山や海を一夜の庵にしながら旅をしていた。
夏、昼間の酷暑からようやく解放されて幕営するとき、一人であることの寂しさなど微塵も感じなかった。でも、秋風が冷たさを増し、 ほかにまったく人影もなく、秋虫の声が立ちこめる幕営場での一夜は、無性に人恋しさを掻き立てた。
そんなときにも、「月へひとりの戸は開けておく」の一句が浮かんできた。
天幕の扉を月のほうに向けて、その冴え冴えとした光を導き入れると、何故か静かな心持ちになって、ゆっくり眠りにつくことができた。
もうすぐ、中秋の名月。
この夜は、どこか山中の湖の畔にでも幕営して、杯に月を映して「冷やおろし」を風雅に戴こうかと思う。
キリッと引き締まって、でも米の青さと、最後にほんのりと儚い甘い香りを残すこの酒は、まさに秋の満月を連想させる。 中秋の名月を映して、それを戴けば、まさにその蒼い月を戴いたような満足感に浸れるだろう。
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