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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.46
2014年5月15日号
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◆今回の内容
1 蛇信仰と聖地
・蛇信仰の意味
・神事に秘められた蛇信仰
3 お知らせ
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蛇信仰と聖地
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今月25日は、伊豆急主催のレイラインツアーの第一回が催行されます。今回は、キンメダイで有名な伊豆稲取から河津までの短い一日コースですが、興味深い聖地がいくつもあります。その中に、一カ所、蛇にまつわる聖地があります。
稲取にある臨済宗建長寺派の月桂山清光院は、元徳二年(1330)に高野山の修験者「聖光」が薬師仏の厨子を背負って当地を訪れ、その薬師仏を本尊として祀ったのが開創のきっかけとなったと伝えられる古刹です。
いつの頃からか、両端に頭を持つ蛇の姿が浮きだした「蛇石」が祀られていましたが、堂宇の建て替えなどが行われるうちに、その存在を忘れられてしまいました。
後に詳しく紹介しますが、蛇石のような蛇にまつわる事物が祀られるのは、縄文時代にまで遡る古い信仰で、ここに清光院という仏教寺院が置かれる以前から、蛇を祀る聖地とされていたのかもしれません。そして、仏教寺院がここに置かれた後、江戸時代に檀家制度が確立されて、神道やその他の土着宗教などが排斥された際に、「邪教」のシンボルであった蛇石は、打ち捨てられたか、あるいは逆にこれを守るために隠匿されたのかもしれません。
それから長い年月がたったある日、檀家の家の中に蛇が出て、それをお告げとするかのように、清光院の境内の地蔵の影に隠れていたこの石が発見されました。そこで、この蛇石を別の場所に移してお祀りしたところ、当の檀家に慶事が続き、清光院ではあらためて祠を建てて、この石を安置しました。
その後、幸運をもたらす石として評判を呼び、集落の人たちだけでなく、噂を聞いた人たちのお参りが絶えなくなりました。
「蛇の夢を見ると、金運が上がる」とはよく言われますが、日本人は、古来から蛇を神の化身として崇めてきました。
今回は、そんな日本の蛇信仰と、蛇を祀る聖地について掘り下げてみたいと思います。
【蛇信仰の意味】
日本に限らず、世界中に蛇にまつわる神話や信仰はたくさんあります。
アステカでは、ケツァルコアトルという羽毛を持つ蛇が農耕神として祀られ、マヤでもククルカンと呼ばれ、最高神の一つとされていました。メキシコ中部のチチェン・イッツァのピラミッドでは、春分と秋分の日に太陽の光がククルカンの姿を浮かび上がらせ、春分には種まきの時期を、秋分には収穫の時期を知らせます。
中国神話に登場する祖神、伏羲と女カ(じょか「渦」のさんずいが女編の字)は、兄妹でありまた夫婦であるとされ、その姿は蛇身人首で体を蛇の交尾そのままに絡みつかせています。
キリスト教では、エデンの園でアダムとイブに禁断の果実を食べるようにそそのかしたのが蛇で、知恵の象徴でした。商人や旅人の守護神である古代ローマの神メルクリウスが携える杖にも、蛇が巻きつき、メルクリウスの知恵を象徴しています。
蛇が、知恵や豊穣、長寿を象徴するのは、足のない体をくねらせてどこにでも入り込む神出鬼没さや、毒を持って自分より大きな生き物も殺して消化してしまう様子、さらに、脱皮を繰り返して成長することが再生や長寿を連想させたものと考えられます。
日本では、縄文時代中期から後期にかけての遺跡で、蛇を頭に載せた女性シャーマンの土偶や、蛇と人間との性交をモチーフにした絵の描かれた土器が多数発掘され、極めて古い時代に蛇に対する信仰が確立されていたことがわかります。
日本神話では、大和の三輪山の神である大物主神が、蛇を化身とすることが記されています。
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