実用的な使い捨てボールペンで書き物をしていてインクが切れたりすると、それまでの静かな思考が吹っ飛んで、 どうにも苛立たしい気持ちになってしまうけれど、これが万年筆のインクが切れた場合は、 逆に長い思考のマイルストーンを刻んだような気がして、にんまりと満足してしまうから不思議だ。
今日は手元に補充用のボトルインクがなかったので、掠れて途切れたメモ書きをそのままにして手帳を閉じた。 こんな中途半端に書き物=思考を中断して、『明日は大宮のロフトにペリカンのロイヤルブルーを買いに行こう』 などと思考のチャンネルを切り替えても、それまで書きながら考えていた谷川健一の鍛冶神についての論考を鮮明に保っていられる。
そして、ふと、この春に大学生になった姪に、まだお祝いをあげていないことを思い出し、万年筆を注文した。三ヶ日は、 ぼくも久しぶりに息子を連れて実家に帰省するので、そのとき手渡しできるだろう。
このところ、一読してほったらかしていたテクストを開いて、 印をつけたキーワードやメモ書きをテーマ別の携帯手帳に書き写す作業をしていたのだが、それももう少しで終わる。
年末年始はせっかく時間もあるのだから、じっくりと深みのある読書をしようと思いつつ、何を読もうか迷っていた。
じっくりとテクストを紐解いて、深く考えながら、万年筆が紙の上を滑るにまかせて、テクストと自分の思考を縒り合わせていきたい。 そんな時間を送るのに最適なテクストは……。
そんなことを考えながら、ふと思い出したのは、10月に100歳で亡くなったレヴィ=ストロースだった。
20代の頃引き込まれた『野生の思考』や『悲しき熱帯』をまた読み直し、30代のパラノイアめいた忙しさのときに、 ふと心を落ち着けたくて買ったものの断片的にしか読めなかった『やきもち焼きの土器作り』、そして、 数年前に養蜂家になる夢を持つ友人が手にして心に染みたという『蜜から灰へ』……。
高度資本主義社会が本格的に崩壊して、新しいパラダイムが見つけ出せない……『環境』 というキーワードは五月蝿いほどはびこっているが、それも今のところは古いパラダイムの枠組みの中での発想ばかり……今、もう一度、 構造主義に立ち返ってみるのもいいかもしれない。
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