カヤノ平の巨木の森からそのまま高度を上げていくと、開けた草原の峠に出る。ここは拓かれた牧場になっていて、 その傍らの白樺林の中がキャンプサイトとなっている。
今宵は、ここで一泊。
受付で手続きをしてから、ビジターセンターを覗いてみる。すると、 フロアの奥で一心不乱に顕微鏡を覗くインタープリターの男性の横に、獲れたてのキノコが並んでいる。
「もうこんなに生えているんですか?」
「えぇ、このあたりでは、9月に入れば、キノコの本格シーズンなんですよ」
舞茸やナメタケ、シメジといった見慣れたものから、はじめて見る珍しい種類まで、広げた新聞紙に整然と並べられて、 ネームタグが付けられている。
その中に、「ドクツルタケ」と名前の書かれた菌を見つけた。タマゴタケという美味しいキノコがあるが、傘を閉じた状態だと、 それに良く似ていて間違いやすい。
このドクツルタケは、毒キノコのなかでももっとも恐ろしいものの一つで、一本食べただけで、助からない。 コレラに似た激しい嘔吐と下痢の後で、肝臓や腎臓がスポンジ状に破壊されてしまう。欧米では「死の天使」と呼ばれていることからも、 こいつの恐ろしさが知れる。
「キノコは、同定するのが難しいんですよね。私もこうやって顕微鏡を使ってますけど、それでも、 地域の環境の差によって形が変わったりして難しい」
「毒キノコほど、美味しそうに見えますしね」
「そう、美味しい食用キノコにとてもよく似ていたりするんです」
アイヌは、キノコや山菜の毒性を試験するために、毒見したいものの切片を笹の葉に包んで、舌の裏側に入れ、 舌の痺れ具合で計ったという。
そんなことを言うと、かのインタープリター氏は、試してみたい誘惑に駆られたようで、ドクツルタケを真剣に眺めはじめた……ぼくも、 若干、心が動かないではなかったが(笑)。
これから、地方に行くと、沿道で地物のキノコを売っている屋台をよく見かけるようになる。 そんなところで買ったキノコで中毒を起こしたというニュースが時々流れるが、それが凄惨な結果を招いていることまでは報道されない。
ドクツルタケは内臓が侵されて、のた打ち回った末に死に至り、ドクササゴは、滅多に死に至ることはないものの、手足の末端が腫れて、 針を突き刺されるような激烈な痛みが一ヶ月以上も続くという。他にも、その症状が、「地獄」としか表現できない菌がたくさんある。
沿道の獲れたてキノコを買うなら、自分でも良く知っている種類のものにするのが無難だ。
珍しいキノコを見つけて、思わずキノコ談義になってしまったが、そのインタープリター氏も17時の定時で山を降り、 その後は広い草原に独りきりになった。
日が暮れると、草原を薄い霧が覆った。
テントは白樺林の外れに一本だけあったブナの木の袂に張ったが、夜の間、まるで小雨が降り続いているかのように、 木の枝から水滴が滴り落ちていた。
ブナの林は、森の貯水池と形容されるが、うっすらと掛かったガスを、その可愛らしい形の葉で捕らえ、 葉脈に沿って雫となった水を枝へ導き、それを根回りへと滴らす。それが、やわらかい土に染み込み、しっかりと張った根から吸い上げられる。
ブナの幹に耳を当てると、根が水を吸い上げる音が聴こえるが、そうして、空中を漂っている水分をたくみに集めて、 太い幹と枝に行き渡らせて蓄えるわけだ。もちろん、森に降り注いだ雨も、ブナの巨大な貯水力によって、膨大な量が蓄えられる。
ブナの森にいると、不思議に気分も落ち着くのは、そこに漲る潤いのせいなのかもしれない。
夜半、急に冷え込んできたので表に出てみると、ガスはいつの間にか晴れて、天の川もくっきりと見える満天の星空が広がっていた。
キャンプサイト脇のパーキングに仰向けに寝転んで空を見上げると、まるで天空がそのまま降ってくるような感覚に囚われる。 この時期にこんな天の川を見たのなんて、たぶん30年振りくらいだろう。
翌朝は、夜明けの寸前に目が覚めた。
草原には、低層に圧縮されたガスが漂い、ポツンポツンと立つブナが、まさに巨人のように見えた。そこに、 後光のように朝日が差し込んで、それは、とてもこの世の風景には思えなかった。
**カヤノ平を彩る山の幸。左下の白い優美な形の菌が、「死の天使」 ドクツルタケ**
**キャンプサイトの朝。たなびく霧の中にブナの立つ幻想的な風景。朝食を済ませ、 そのまま奥志賀林道を北へ、野沢を見下ろす峠は、すっかり秋の装いだった**
ここは、一日の風景の変化がほんとに気持ちいい場所です。
今度は二三日滞在して、景色だけボーっと眺めてみようかなと思ってます。
ウインターキャンプも良さそうですよ!!
投稿情報: uchida | 2007/09/18 09:59
カヤノ平美しい場所ですね。昨年夏行きました。キャンプ場の見学しただけですが・・・
次回はぜひ宿泊したいですね。こんな幻想的な景色を見てみたいです。
投稿情報: すず | 2007/09/17 19:31