30日早朝にアクスの街を出発したコンボイは、そのまま天山南路のメインルートを進むのではなく、途中から北に折れて、 天山山脈の南端をかすめ、キルギス共和国との国境地帯へと向かった。
造山活動の跡が褶曲した地層として残り、生々しい地球活動を感じさせる山の間をどんどん高度を上げていく。それにつれて、 気温も下がり、風が気持ちよくなっていく。
アグチ(阿合奇)の町は、雪山を間近に仰ぐ標高1600mの高原地帯にある。ここは、キルギス族の町で、 特別にしつらえられたユルト(彼らの遊牧時の移動式住居)で昼食の歓待を受けた。
その後、キルギス共和国との国境近くの山岳地帯を下って、再びテン間南路のメインルートに合流。アトシュの町に入った。
今回、我々のバスのスルーガイドを務める黄さんは、アトシュの山岳地帯の出身で、先のアグチの町へ向かう途中に、 自分の故郷を案内しながら、子供の頃の話をはじめた。
彼の生まれ育った村は貧しく、彼は子供の頃、靴を履いたことがなかったという。「だから、ぼくの足は、 こんなに大きくなってしまったんです」と、笑いながら語っていた彼だが、その目から、大粒の涙がこぼれだし、すすり泣きしながら、 片道30kmの道を歩いて小学校に通ったことや、神民族ながらウイグル族の学校に2年間通ったこと(普通、 漢民族は少数民族系の学校には通わない)、彼の村からウルムチの大学に入った第一号となったことなど……快活で、素直で、 そして勉強熱心な彼が、そんな苦労をしてきたことに、バスのみんなは絆されてしまった。
「がんばったねぇ、これからも、がんばれよ!!」
自分も涙を浮かべながら、シャーさんがそう叫けぶと、日本人も台湾人も、香港人も、そしてウイグル人も、みんな一斉に、 「がんばれー!!」の唱和が起こった。
黄さんは、現代の都会に生きるぼくたちが忘れてしまった、とても大切なことを思い起こさせてくれた。
内田さんが現地で肌で心で感じた事を少しだけ分けていただいたような記事でした。
旅も早半分が過ぎましたが、次の記事も楽しみにしています。
投稿情報: yosh0524 | 2007/07/03 15:44