来年の北京オリンピックを控え、 それをなんとか成功させようと中国政府はやっきになっている。また、それを契機に多くの観光客を呼び込もうと、 中国各地でも様々な催しが企画されている。
来週から、ぼくは新疆ウイグル自治区で開かれる「国際観光祭」に招かれて訪ねてくるが、 今年はウイグル族の街の中でも、中央アジア的な歴史や文化の色が濃いクチャをメイン会場としてこのイベントは開催される。 クチャは、日本でいえば、差し詰め京都といったところ。 新疆政府が、それだけ2008年を弾みとして、 観光を活性化させたいという願いがはっきりみてとれる。
中国は多民族国家だ。中国全土には56の民族が暮らし、新疆に限ってみても45の民族を数える。
開放政策が進む中で、地下資源の豊富な新疆ウイグル自治区は、「西部大開発」の名の下に大規模な入植・開発が行われ、 かつてはのんびりとしたオアシスがタクラマカン砂漠や天山、パミールの麓に点在するだけだったところに、突然、 漢族が主体となった大都市が出現しているという。
新疆ウイグル自治区というと、ぼくにとっては小松左京の小説『見知らぬ明日』の印象がとても強い土地だった。
無慈悲な宇宙からの侵略、その発端が新疆の砂漠地帯だった。
…………………………
「中国奥地で、なにか起こっている……」
「また文革の小ぜりあいですか?」
「さあな……武闘らしいが……」
…………………………
そんな冒頭から始まるこの小説が発表されたのは、まだ文革まっただ中の時代。当然、文革的情報閉鎖の中で、 はじめはソ連と中共との国境紛争が全面戦争に発展したものと西側の観測筋は予測する。
「ソ連と中共が戦争状態となり、新疆で核兵器が使われている」
……そんな憶測の元に、現地へ向かった日本のジャーナリストが目撃したのは、 ソ連と中共が新疆を舞台に繰り広げる宇宙人との戦いだった。
そして、人類が向かっていく先は……。
といった内容で、当時の国際情勢の中で展開される宇宙戦争が、妙にリアリティを持って感じられたものだった。
後に実際に新疆を訪れたときに、小松左京がイメージした世界がまさにそこにあり、 ここなら宇宙からの侵略者があっても誰も気がつかないだろうと感心したものだった。
皮肉なことに、そのぼくが初めて新疆を訪れた1986年という年は、チェルノブイリの惨事があり、 地理的に近い新疆もかなり危険性が高いといわれながらの訪問だった。致命的な原子力発電所の事故と宇宙戦争という、 ありえなさそうな出来事が、新疆という土地にあってぼくのイメージの中で交錯したものだった。
そんな、荒唐無稽なシチュエーションや物語がよく似合う……西遊記の主要な舞台もちょうどこのあたりで、火炎山の麓に佇んでみると、 まさに孫悟空がキント雲に乗って現れても何の不思議も感じない場所だった……新疆という土地。
ここは、今では、『中国の火薬庫』ひいては『世界の新たなる火薬庫』といってもいい場所となっている。
日本人が、「シルクロード」という言葉から感じるのは、NHKが展開したあのエキゾチックな風景や文物だろう。
でも、今、実際はどうなっているのだろうか?
ぼくは、ちょうど20年前、NHKのあのシリーズがシルクロード熱を最高潮に盛り上げているときに、彼の地を訪問したわけだが、 当時の牧歌的な雰囲気は、たぶんかなり失われてしまっているだろう。
今は、豊富な地下資源を背景にした「大開発」の波が洗い、新たな紛争の舞台としても、まさに「見知らぬ明日」 の様相を呈しようとしているともいえる。
新疆の周辺は、もともと地勢的にはウイグルやタジク、カザフといったトルキスタン系の住民が多くを占め、「東トルキスタン」 という呼び名が一般的だった。今では、ロシア、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、アフガニスタン、新疆、 パキスタンといった別なネーションにそれらの民族は別れて住んでいる。
ただし、彼らは元々遊牧民であり、国境=ネーションステートといった概念も薄い人たちだった。それが、 ネーションに組み込まれたことの違和感はそうとう大きいだろう。
先に挙げた中央アジアの国々は、いずれも内に多民族を抱え、紛争が絶えない。また、チュルク系民族を統合して「東トルキスタン」 という一つのネーションステートを築こうとする運動も根強い。
ここに、近年はアラブ系の国家が介入して紛争をあおり立てたり、アルカイダが拠点を置いているという噂も絶えない。
2008年北京オリンピックを契機に発展の加速度を増そうとする中国と、内に抱える少数民族の動き、それはとても気になるところだ。
今回の「観光視察」では、新疆の「見知らぬ明日」の一面をかいま見ることになるだろうか?
コメント