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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.253
2023年1月5日号
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◆今回の内容
○涅槃寂静にあるように……年頭所感を兼ねて
・ネガティヴ・ケイパビリティ
・<魔>とは何か
・涅槃寂静
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涅槃寂静にあるように……年頭所感を兼ねて
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今回は、年が改まって最初の聖地学講座ですので、本来なら「あけましておめでとうございます」と始めるところですが、新年を素直に祝う気にはどうしてもなれません。
コロナ禍以降、その収束の出口がなかなか見えず、それに加えて昨年は、ウクライナでの戦争の勃発とその長期化や、それによる冷戦時代のような世界の二極化が起こりました。また、日本では安倍元首相の銃殺に端を発して旧統一教会問題から、ずっとくすぶっていたカルトの問題の深刻さが顕になってきたりしました。そんな社会状況を引きずったまま迎えた、この2023年がどんな年になるのだろうと想像すると、あまり明るい展望は持てない気がしたのです。
しかし、それでただ「駄目だ」と諦めてしまっては、いい方向に進むはずもありません。少なくとも、個人の感覚として、この混迷の社会の背景=下部構造には何が横たわっているのかを考えつつ、年末年始は、一人で家に籠もったまま本を読んでいました。
デヴィッド・ハーヴェイの『資本主義の終焉』、昨年の後半に柄谷行人が10年ぶりに著した『力と交換様式』、さらに柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』と『世界史の構造』を読み返し、『アメリカ自然思想の源流』(柴崎文一)も読み返し、気分転換にミュリエル・バルベリの小説や沢木耕太郎の新刊『天路の旅人』を紐解き、そして、今回の内容にも深く関わる鎌田東二の『「呪い」を解く』を渉猟していました。
といっても、これから社会がどう進んでいくのかといった<大展望>に関しては、私がここで論ずるには荷が重い課題ですし、そもそも、聖地学講座の範疇を大きく超えていくものです。
そこで今回は、鎌田東二の『「呪い」を解く』をひとつの道標として、私が「今」という時代について思ったことなどを年頭所感的に記してみようと思います。
●ネガティヴ・ケイパビリティ●
『「呪い」を解く』は、2004年に出版された『呪殺・魔境論』を文庫化するにあたって、著者が加筆修正して題名を変更したもので、2014年の出版になります。その間には、2011年の東日本大震災があり、そこで多くの日本人が味わわされた喪失感、それにともなう精神構造の変化があり、本書の内容の必要性がより強まったといえます。
元著は、オウム事件を主題材として、教祖の麻原彰晃の思想が何を背景にしたもので、それのどこに信者たちは惹きつけられたのかということを詳細に分析し、宗教や救いの思想が必然的に抱えざるをえない危険な部分が<魔>として位置づけられています。
息づまった世の中で、自分の居場所が見つからず、その苦しさや辛さを解消してくれると謳うものに引きつけられていく。そして、その中に入ってみると、自分がどう生きるべきかという価値観に悩まなくても、考え方や行動を指示してくれる教祖とそれに従う仲間たちがいて、その画一化された価値観に一気に染まってしまう。
その果てに、すっかり洗脳され、自分たちは選ばれた人間であり、無知な大衆を救わなければならないという選民思想に染まって、偏狭な価値観を人に押しつけるようになっていく。
オウムに典型的に見られた、そうした閉じられた世界を鎌田東二は<魔界>と呼びます。そして、そうした<魔界>はオウム事件後で萎んだわけではなく、どんどん広がっていると説いています。旧統一協会が政界を中心に信じがたいほど社会に蔓延っていたことは、鎌田の見立てが的を射ていた皮肉な証明ともなりました。
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