□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.244
2022年8月18日号
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆今回の内容
○山の神と修験道
・素朴な山の神信仰
・修験道の設立
・熊野と修験
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
山の神と修験道
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
また、例年の昭文社『ツーリングマップル 中部北陸』の実走取材の時期となりました。
今年の相棒は、”BMWR1250GSアドベンチャー”という長い名前のオートバイです。長距離を快適に移動できて、さらにダート(荒れた道)も気にせず踏み込んでいけるというコンセプトで設計されているのが、アドベンチャーモデルというカテゴリーなのですが、そのカテゴリーを代表するオートバイです。
この現行モデルの先代と、さらにその先代は私が愛車にしていたもので、先々代のR1150GSでは、『レイラインハンター』の取材で2年間に渡って全国を走り回りました。また先代のR1200GSアドベンチャーでも、いろいろな聖地を訪ねました。水平対向2気筒、通称「ボクサーツイン」と呼ばれるエンジンと独特の駆動系を持ち、他のどんなオートバイとも異なる乗り味があります。今回の相棒である最新型も、そのテイストは変わらず、昔のレイラインツーリングの思い出がヘルメットのシールド越しに蘇ってきます。
ツーリングマップルの取材では、編集サイドからのオーダーに従って取材していくのですが、それとは別に、毎年、自分なりのテーマを決めて、それを取材に織り込んでいます。今年は、かつてのレイラインツーリングにちなんだオートバイということもあって、個人的なテーマを聖山・霊山(以下、霊山と表記)を巡ることに決めました。
担当している中部北陸地域は、山がちな日本にあっても、とくに高山や個性的な独立峰が多く、古くから霊山として信仰されてきた山がたくさんあります。アドベンチャーモデルの機動性を活かせば、そうした霊山を仰ぎ見る麓や中腹に残された信仰の痕跡などをスピーディに辿っていけます。
先日は、第一回目の取材で、新潟県の妙高山を皮切りに、長野県の戸隠山と飯縄山周辺、そして鬼無里付近を巡ってきました。妙高山はその名が中国の須弥山に由来するように、仏教思想と深い関わりがあり、戸隠と飯綱は合わせて修験の一大道場として栄えた場所です。鬼無里は、拙著『レイラインハンター』で取り上げた風切地蔵の安置されるところであり、その取材中に思わぬ吹雪に遭った思い出が蘇ります。
今年は、そんな「レイラインツーリング」をあと20日ほど予定しています。その詳細は、またいずれご報告するとして、今回は、日本人が古来持ち続けてきた山への信仰が、どのように変遷していったのか、とくに民間信仰と修験道に焦点を当ててみたいと思います。
●素朴な山の神信仰●
日本人が、古来、山をが神霊や祖霊の住処として崇めてきたことは、この講座でも今まで何度か触れてきました。
縄文時代には、山を麓から拝む形で環状列石などの祭祀場が作られ、また山の頂に登って、そこで祭祀が行われた形跡も見られます。例えば、縄文前期の長野県阿久遺跡の環状列石は蓼科山を夏至の日の出の基準点に定めて設計されています。同様に栃木県寺野東遺跡の環状盛土遺構は、筑波山から夏至の太陽が昇るのを観測できる位置に置かれています。また、南アルプスの甲斐駒ヶ岳や先の蓼科山、八ヶ岳の編笠山、神奈川県の大山、東京都の雲取山、さらに伊吹山、比叡山、六甲山の山頂からは、石鏃や石斧などが発見されています。
農耕生活が営まれるようになった弥生時代には、水を授けてくれる水分神として山を崇め、さらに山と田を往復する神へと変化して、山は遠くから遥拝する形になりました。古墳時代になると、再び山が強く意識されるようになり、古墳が、神が降り立つと考えられた山、いわゆる神名備山を意識して築かれるとともに、山の中腹から山頂にまで祭祀の痕跡を残すようになります。奈良の三輪山とそれを取り巻く古墳群などは、まさに神名備山と古墳との関係の典型です。
古代から中世初期にかけては、雑密や古密教と呼ばれる呪術的信仰を持つ優婆塞たちが積極的に山に分け入り、ここを修行場とするようになります。そうした優婆塞の中には、白山を開山した泰澄や、行基、それに入唐前の空海もいました。
>>>>>続きは「聖地学講座メールマガジン」で
初月の二回分は無料で購読いただけます。
コメント