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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.226
2021年11月18日号
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◆今回の内容
○神と悪魔のシンボル
・十字架、法輪、ダビデの星
・神獣、獣神、ドラゴン=竜
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神と悪魔のシンボル
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先日、外出先から戻ってテレビのスイッチを入れると、「エクソシスト」のショッキングなシーンが流れて、一瞬、息が止まりました。だけど、しばらくそのまま観ているうちに、まだCGを使ったSFXなんてまったくない時代の手作り感ともいえる特撮シーンがなんだかほのぼのと感じられてきました。
これが公開された1974年、私は中学1年生で、はじめて友達だけで遠くの映画館に行くのを許されて、ロードショーでこの映画を観たのでした。
大画面で見る悪魔憑きとその除霊のシーンは、とてもショッキングなものでした。行きのバスでは友人二人と思い切りはしゃいでいたのに、帰りのバスではみな無言で、映画のシーンを思い出すまいと必死でした。そして、とっぷりと日が暮れたバス停からの帰り道は、競うように全速力で家へ走っていきました。
主演のリンダ・ブレアがちょうど同じくらいの歳頃で、鬼気迫るというか悪魔憑きそのものの演技が、精神がまだまだ幼い田舎の男子にはとても演技とは思えませんでした。身近な女の子がほんとうに悪魔に取り憑かれていたと信じこみ、しばらくショッキングなシーンが頭から離れず、トラウマになったほどでした。
しかし、あれから50年近く経って観ると、こっちの心が穢れたのか、はたまた図々しくなったのか、再びあのときの恐怖が蘇るなんてことは微塵もなく、子供時代の思い出に浸れた心地いい時間でした。
一方、主人公はいったいどんな悪魔に取り憑かれていたのだろうと、妙に具体的なことが気になりました。調べてみると、彼女に取り憑いたのは、古代アッシリアの嵐の神であるパズズであるとわかりました。
Toubeを当たってみると、カトリック教会の発掘団が古代アッシリアの遺跡を発掘する冒頭シーンが上がっていました。
砂漠に埋もれた遺跡を掘り返すと、握りこぶし大の一つの石像が見つかります。これがパズズの像で、4000年の眠りから覚めたこの神が、発掘に当たった神父一行に祟りを成して取り殺し、今度は一気に空間を飛び越えて、アメリカに暮らす敬虔なクリスチャン一家の娘に取り憑くという設定でした。
掘り起こされたパズズの像は、ひと目見てゴジラもしくは私の世代に馴染み深いウルトラマンに登場する怪獣そのものに見えました。中学生のときの記憶には、ゴジラそっくりの悪魔が登場したような印象はなかったのですが、それは、当時は映画が醸し出す恐ろしい雰囲気に飲まれて、想像力を発揮する心の余裕がなかったからなのでしょう。
取り憑く悪魔が、キリスト教世界の悪魔ではなくて、異教の神であるということに今さらながら驚くと同時に、この設定の中に、異教徒とその信仰に対する恐れと、それに対する蔑視、あるいは当時の時代性を考えれば、自然神信仰に対する畏れと共感というアンビバレンツな感情が込められていたのではないかと気づきました。
長い眠りから無理やり起されてしまった自然神パズズは、当時、西欧社会に広がっていた文明批判と自然回帰志向を映し出していたようにもとらえられます。そして、パズズが多感で無垢な少女に取り憑いたのは、多感で無垢であるからこそ、アニミスティックなこの神を受け入れることが可能だったことを表していたのでしょう。
そんなことを想像すると、今の経済優先社会に「No」を突きつけて、環境優先のオルタナティヴな社会の創造へと立ち上がった現代の意識の高い若者たちと、この映画の設定とがメビウスの輪のように繋がって見えたのでした。
古代アッシリアの信仰については、シュメール語での記録が残っていて、かなり克明に判明しています。パズズは嵐をもたらす荒ぶる神ですが、同時に嵐の後に刷新をもたらす再生の神とも考えられていました。それはヒンドゥー教の破壊と再生をもたらすシヴァ神とイメージが重なります。
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