
エーコの『フーコーの振り子』は、テンプル騎士団という幻想に踊らされる知識人の滑稽劇で、『プラハの墓地』は同様に「シオン議定書」というユダヤ人排斥のきっかけになった偽書を巡る悲惨がテーマだった。
大方の陰謀論や偽書のたぐいは他愛もないメルヘンのようなものだけれど、それがイデオロギーに結び付けられたり、権威づけされて利用されると、人の意識を蝕むモンスターとなる。
西洋だけでなく、東洋でももちろんあるし、日本でもそんな例は数多い。
真理やら、未知なるものに惹かれるのは人間の性だけれど、「盲信」に至る前に客観化できる人間と、「盲信」に突き進んでしまう人間との違いは何なのだろうか?
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