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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.191
2020年6月4日号
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◆今回の内容
○聖なるものの変遷と復権
・一神教と多神教
・聖なるものの成り立ちと変遷
・聖なるものの復権
◯お知らせ
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聖なるものの変遷と復権
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つい先週のこと、鉱山・資源開発の大手多国籍企業であるリオ・ティント(Rio Tint)が、4万年以前に遡るアボリジニの遺跡を破壊し、謝罪したというニュースが流れました。
西オーストラリアで鉱山開発を行っていたリオ・ティントが、氷河期にまで遡るアボリジニの洞窟遺跡「ジューカン・ゴージ」で鉄鉱石を採掘するための爆破作業を行って、この遺跡を全壊させてしまったというものです。この遺跡からは、2万8000年前のものと推定されるカンガルーの骨で作られた骨角器や、髪の毛を編んで作られた4000年前のベルト、その他の磨製石器などが見つかっていて、オーストラリアで最古の一つに数えられるだけでなく、世界的に見ても非常に貴重な先史時代遺跡でした。
この遺跡を含む一体は、プートゥ・クンティ・クラマとピニクラというアボリジニ部族の所有地で、その一部を西オーストラリア州がリオ・ティントに採掘許可を与えていましたが、その範囲を越えて採掘を行って破壊されたものでした。
西オーストラリア州では、昨年の10月に、アボリジニの聖地である「ウルル(通称エアーズロック)」を恒久的な入山禁止とされましたが、古来の聖地を保護する政策をオーストラリア政府が拡大実施していく中で起きた出来事でした。
オーストラリアに限らず、近年は、自然と共生してきた世界各地のマイノリティの価値観が見直され、自然保護とともに彼らの聖地を守ろうという考えも定着してきました。しかし、その反面、現代産業社会のニーズに答えるための資源開発も拡大していて、こうした事件が各地で起こっています。
こうした保護と開発のせめぎ合いの背後には、経済優先主義とエコロジーの考え方の違い、さらにその背後にある宗教的な精神土壌の違いがあります。さらにいえば、モノの価値の背景を成す「聖なるもの」という概念が歴史的な意味や社会背景によって異なる点があげられます。
世界がコロナ禍に襲われて経済活動が大きく停滞した影響で、自然が本来の姿を取り戻したといった報告が世界各地から挙がっています。また、人口が集中する都市の脆弱性が明らかになったことで、ライフスタイルを根本的に変えて田舎への移住を検討する人も増えています。
今回は、そんな今の状況なども考え合わせながら、人の価値観に大きな影響を与える「聖なるもの」の概念について触れてみたいと思います。
●一神教と多神教●
この講座でも何度も取り上げてきましたが、宗教の性格を区別する一番大きな分類項目は、一神教と多神教です。一神教はあらゆるものの造物主として絶対唯一の神を頂点として、その元に人や自然を置きます。一方、多神教は自然そのものの中に神性を見いだして、多くの神の存在を認め、すべてを含めた「自然」というエコシステムに神も人間も含まれていると考えます。
冒頭引用した事件を当てはめれば、リオ・ティントは一神教世界の西洋の価値観で動く企業であり、アボリジニは多神教世界に生きているといえます。アボリジニにとってジューカン・ゴージは、神聖不可侵な聖地だったわけですが、西洋的一神教から生まれた資本主義的な価値観を行動原理とするリオ・ティントにとっては、そこに聖性=聖なるものの価値はなく、神の命を受けた人間による開発を待つ資源の収穫場にしか映らなかったのです。
今でこそ、資源の枯渇ゃ環境破壊から異常気象や経済格差といった深刻な問題を突きつけられて、資本主義のあり方そのものに疑問が持たれるようになってきましたが、20世紀中葉までは、自然を切り開いて消費財を大量に生み出して豊かな生活を追求していくことは、善であり美であるとさえ考えられていました。「消費は美徳」などというキャッチフレーズがメディアに溢れていたのは、そんなに遠い昔ではありません。
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