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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.147
2018年8月2日号
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◆今回の内容
◯異常気象と信仰
・新しい天動説
・新たな地動説へ
◯お知らせ
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異常気象と信仰
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先週末は、観測史上初となった東から西へ抜ける逆走台風に東西日本が翻弄されました。私も東海に台風が上陸した当日に「奥東国三社」をガイドする予定が入っていたのですが、土壇場でキャンセルになってしまいました。
それにしても、気象庁が「動きが読めない。今までの被害想定も通用しない」と匙を投げるような台風が到来したり、「エアコンは快適に過ごすためのものではなく、生命維持装置です」なんてコメントを出すような酷暑に見舞われ、またヨーロッパの干ばつをはじめ、世界各地で予想できない天災が起こっているのですから、異常気象も極まりつつあると感じてしまいます。
私が好きなアメリカのTVドラマ『ニュースルーム』には、アメリカの環境省の高官がニュース番組のゲストとして登場するエピソードがあります。この高官は、環境アナリストで、地球環境の悪化を止める術はすでに何もないと、視聴者に向かって冷ややかに言い放ちます。「20年前なら、まだ具体的な方策を打つことができたかもしれません。でも、今では、もう何をやっても手遅れです」と。真正面から文明批判のメッセージを伝えた、とてもシニカルな回で、評判が芳しくなかったのか、あるいは続くシナリオが書けなかったのか、その先はありませんでした。
今回の日本の台風や酷暑について、何が起こるか想定できず、とにかく表に出ないでほしいと悲鳴のようなコメントを繰り返すニュースと、ニュースルームのエピソードがだぶってきます。
こうした異常気象の主要因は、地球温暖化だといわれますが、では、その温暖化を生み出すことになった大元の原理というのは何なのでしょうか?
今回は、聖地や信仰という観点から、そのことを考察してみたいと思います。
●新しい天動説●
梅原猛は『人類哲学へ』の中で、「近代哲学は、天動説から地動説へと移ってきましたが、デカルトに始まる近代哲学は、人間の自我のまわりに世界が回っている、一種の天動説ではないかと思うのです」と記しています。
『我思う故に我あり』という自我の目覚めは、ある意味無分別な欲望の解放でもありました。それが資本主義と結びつくと、露骨な経済至上主義に変貌します。そして、すべてが『富』という価値観に置き換えられてしまう世界の中で、重要な二つのものが失われてしまいました。一つは、自然…神と言い換えてもいいのですが…への畏れの感覚の喪失です。そしてもう一つは、価値観の多様性の喪失です。
かつて、人類は、取り巻く自然の中に多様な聖性を感じていました。狩猟採集生活では、人は自然が与えてくれるものによって命を繋ぎ、自らか糧とする植物にも動物にも、水にも、暖かさと生命の生育をもたらしてくれる太陽にも、そして、夜を照らし生命のリズムを司る月にも、火にも、風にも、森羅万象あらゆるものに感謝の気持ちと畏れの気持ちを抱いていました。
今、ちょうど国立博物館で縄文展が開催されていますが、この頃の土器や土偶に接すると、それは、目の眩むほど多様で独創的で、まさに縄文人たちにとって世界は多様性に満ちていて、彼らは、あらゆるものに聖性を感じていたのだなと実感させてくれます。
縄文人たちにとって、自分たちも自然の一部であることは自明のことで、自然の秩序を壊すということは、たとえ些細なことでもタブーでした。
自らが中心に位置しているのではなく、自分も自然の一部であり、自然とともに循環しているという観念は、地動説ともいえるものです。科学的な地動説ではなく、感覚的な地動説です。
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