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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.145
2018年7月5日号
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◆今回の内容
◯諏訪大社の謎 その2
・謎の神「ミシャグチ」
・大祝と守矢氏
◯お知らせ
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諏訪大社の謎 その2
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毎年、夏になると昭文社から発売されている『ツーリングマップル』の翌年版の取材が本格化します。私は中部北陸版の担当で、毎年、エリア内を5000から6000キロあまりオートバイで巡ります。
その取材の皮切りは、長野県諏訪市にある諏訪大社への参拝が恒例となっています。諏訪大社は、上社前宮、上社本宮、下社春宮、下社秋宮の四社で構成されているわけですが、その四社のうち、上社前宮にお参りして、背後の御神体山である守屋山に発して拝殿前を流れる「水眼(すいが)の神水」で喉を潤し、ついでに水筒にもこの水を詰めてスタートします。
前宮からは、守屋山の鞍部である杖突峠までオートバイで駆け上ります。ここからは諏訪湖全景とともに、対岸に続く美ヶ原のたおやかな稜線を一望でき、さらに八ヶ岳から北アルプスまで遠望できます。
諏訪湖は、東北日本と西南日本を分ける大断層である糸魚川静岡構造線の中間に位置していて、ちょうどこの湖を軸に日本列島が雑巾を絞るように拗じられています。そんな場所ですから、太古から、ここで人は大地の大きな力を意識して、それを崇めてきたのでしょう。杖突峠から見渡す光景は、感動を呼ぶ絶景であると同時に、その変化に富んだダイナミズムが言いしれぬ畏怖を呼び起こさせます。それはまさにこの場所が大きく大地が躍動しているところだからなのでしょう。
先日、品川でシリーズ第三回となるトークセッションを行いました。そのときのテーマは東国三社でした。東国三社の要となる鹿島神宮は諏訪大社の前宮を真西に見据えるような配置になっていますが、そんなエピソードとともに、諏訪大社についても少し触れると、ぜひ諏訪でツアーをやってほしいという要望が沢山ありました。とくに、一度でも諏訪を訪ねたことのある人は、諏訪という土地が持つ独特の雰囲気に魅せられて、また訪ねたいと思うようです。私も、ツーリングマップルの取材だけでなく、諏訪には何度も足を運んでいます。
諏訪という土地は、どうして人をそんなふうに惹きつけるのか、今回はそんなことを諏訪大社にまつわる謎とともに考察してみたいと思います。
●謎の神「ミシャグチ」●
この講座の第83回では、鹿島神宮との間のレイラインや、諏訪大社が四社で構成されることの意味、それに物部氏との関係などに触れました。しかし、それは、諏訪にまつわる謎のほんの一端に過ぎません。まだまだ諏訪には深い謎と神秘が眠っています。
この冬、諏訪湖は数年ぶりに全面結氷し、5年ぶりに御神渡りが見られました。残念ながら、私は現場には行けなかったのですが、凍てつく早朝の諏訪湖畔で御神渡りを目撃した友人は、「それは、湖に亀裂が走るなんてもんじゃなくて、大地が、なにか得体のしれない巨大な力で引き裂かれるようで、全身総毛立った」と言います。
諏訪に生まれ育った建築家の藤森栄一は、『蓼科の土笛』というエッセイの中で、次のように記しています。「いつ頃かわからない遥かな昔、強い寒さが竪穴の掘立小屋をひしひしと圧する夜、人々は地軸を引き裂くような轟をきいた。つぎの早朝、湖の水は一直線に、諏訪神社の下社の浜から対岸の上社の方にかけて一本、湖心からその一直線と直角に東、佐久郡の方向に一本、つまり丁字状に割れているのをみた。そして陽が昇って暖かくなって、いま一度、凄い轟音が盆地の山峡にとどろきわたり、氷の割れ目は、高い長城のように蜒々と持ち上がった。人々は恐怖した。神の通路でなくて何であろう…」。
藤森は、実際に自分が体験した御神渡りの光景が、縄文の太古から繰り返されてきたことを思い、そのうち、縄文集落から見た御神渡りを幻視したのでしょう。当然、その時代には、諏訪大社は上社も下社もありませんから、幻視は、その後の時空間とも溶け合って、当たり前に重畳しているように感じられたのでしょう。藤森のこの文章を読んだときに、彼の時空を超えた感覚が、私にもはっきりわかりました。諏訪という土地は、まさに過去と現在が渾然として感じられること、過去がリアルに息づいていて、すぐに姿を現すことがいちばん大きな魅力といえます。
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