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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.125
2017年9月7日号
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◆今回の内容
◯夢と聖地
・聖徳太子の夢殿と親鸞の三つの夢告
・洞窟と夢
・夢を授ける寺
◯お知らせ
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夢と聖地
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数日前、海底火山が目の前で爆発する夢を見ました。
シーカヤックにでも乗っていたのか、とにかく私は洋上にいて、ぼんやりと遠くを眺めていました。すると唐突に、目の前の海面が盛り上がり、巨大な水柱が立ち上がって、水しぶきとともに火山礫があたりに降り注いできたのです。そして、「もうダメだ」と思った瞬間に目が覚めました。久しぶりに見たリアルな夢に、Tシャツが汗でびしょ濡れでした。
それから数日後、北朝鮮が水爆弾頭の爆発実験に成功したというニュースが流れました。ふと思い返すと、夢で見た巨大な水柱は、海底火山の爆発のようなものではなく、かつてビキニ環礁などの海洋で行われた核実験の水柱にそっくりだったことに気づきました。そして、あんな夢が正夢にならないようにと、思わず両手を合わせました。
しかし、人はどうして夢を気にかけるのでしょう。
現代では、覚醒時の精神の疲れを解消したり心理的な不安を和らげる、あるいは逆にストレスがたまった時に潜在意識の中に隠れていた恐れが具体的な形となる生理的な現象が夢だと説明されます。でも、私たちはどこかで、そんな合理的な説明だけでは片付けられないものを夢というものに感じています。正夢という現象も実際にありますしね。
今回のテーマである「夢」は、私がリアルな夢を見たから急に思いついたわけではなく、以前からテーマにしようと決めていました。それにしても、夢を見たタイミングとその内容が、何かを暗示しているようで不思議です。
夢をテーマにするといっても、漠然と夢全体を考察するのではなく、聖地学という観点から、夢と聖地との関係について掘り下げてみたいと思います。
【聖徳太子の夢殿と親鸞の三つの夢告】
法隆寺の夢殿は国宝にも指定されている優美な八角円堂ですが、これは、もともと聖徳太子が斑鳩の宮のそばに建てたもので、後に法隆寺の所属となりました。聖徳太子は、一日に三度沐浴してこの夢殿に篭り、そこから出ると仏道を説いたり、経典の注釈を行なったと伝えられています。
今昔物語には、次のような話があります。
「ある時、太子は夢殿に入り、そのまま七日七夜お篭りになられたことがあった。中からは物音一つせず、人々は不審に思ったが、高麗からやってきた惠慈法師という人が、『太子は三昧定(ざんまいじょう=無我の境地)に入られているのだ。邪魔をしてはいけない』と告げた。
ようやく、八日目の朝に夢殿の扉が内側から開かれると、太子は何事もなかったかのように平然としていて、そばの飾り机の上には、一巻の経典が置かれていた。
太子は扉口にいた惠慈法師に申された。『この経典は、私が前世で衡山(こうざん)にいた時に持っていたもので。先年、小野妹子が持ち帰ったのは私の弟子が写した経でした。小野妹子に経典を持たせた三人の老僧は、私が経典をしまっていた場所を知らず、違う経典を渡したのです。そこで、私は夢殿に篭って魂を衡山に送り、自分の経典を持ってきたのです』。
そんなことがあった翌年、小野妹子がまた唐に渡り、衡山を訪れた。以前、経典を渡してくれた三人の老僧のうち二人は亡くなっていたが、残っていた一人が聖徳太子が経典を取りに来た話をした。『先年の秋、あなたの国の太子が青竜の車に乗り、五百人の従者を従えて、東方の空よりやって来て、古い室の中に集めてあった中から一巻の経を取り出し、それを携えて、雲を分けて去って行かれた』と」。
夢殿は単に夢を見る場所というだけでなく、そこで託宣を請け、さらには異界にも繋がっていたと信じられていたのです。
時代が下って、鎌倉時代の初期、浄土真宗を開いた親鸞には「三つの夢告」という話が伝わっています。
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