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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.70
2015年5月21日号
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◆今回の内容
1 箱根山-鹿島神宮ライン
箱根山開山
鹿島神宮寺
箱根山-鹿島神宮ライン
2 お知らせ
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箱根山-鹿島神宮ライン
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先週の土曜日は朝日カルチャーセンターの講座で、『火山信仰と日本神話』というタイトルで話をしました。
ベスビオ山の噴火がポンペイの街を一瞬にして滅ぼしてしまったのは有名ですが、街だけでなく一つの文明を滅ぼしてしまうほどの規模の噴火も少なくありません。今から7万5千年前のトバ火山の噴火では生物種の多くが絶滅し、人類も絶滅寸前にまで追い込まれたと推定されています。
そんな噴火のカタストロフの記憶を神話の中に探すのがテーマでした。詳しい内容は、当聖地学講座の第26回『火山を崇める聖地』と第56回『火山信仰の起源』でも取り上げていますので、ご興味のある方はバックナンバーをご参照ください。
講座終了後、「今回のテーマはタイムリーでしたね」とカルチャーセンターの生徒さんに言われましたが、このテーマは、昨年の秋に御嶽山の噴火を受けて決めたもので、箱根山をはじめとした最近の火山活動の活発化に重なったのはまったくの偶然でした。
カルチャーセンターの講座では、準備の時間がなかったこともあって、箱根山については過去の噴火活動についての記録を紹介するだけで終わってしまいましたが、箱根は伊豆山権現と合わせて「二所権現」と呼ばれた箱根権現(現在の箱根神社)があって、山岳信仰の色が濃いところであり、芦ノ湖に眠る九頭竜も祀られる自然信仰の色合いの濃い聖地なので、引き続き調べていました。そんな中、箱根山の開山にまつわる話から、関東を横断する新たなレイラインを発見しました。これは、私が長年疑問に思っていたあることの答えに繋がる発見でもありました。
今回は、そのレイラインについてご紹介したいと思います。
【箱根山開山】
箱根山は、奈良時代の僧、万巻によって開山されました。天平宝字元年(757年)に朝廷の命を受けて箱根に入り、数年後に開山を果たしたと伝えられています。
箱根山は古くから山岳修験の道場として開かれていました。6世紀の中頃には、山の形が経箱に似ていることから「箱根山」と名付けられています。同時に般若寺が建てられました。7世紀中頃になると、般若寺は東福寺と名が改められ、寺域を拡大します。芦ノ湖もの島にも九頭龍権現を祀る寺が造営され、その他にも当時「優婆塞」と呼ばれた修験僧たちが独自に参集して活動が活発になっていきました。
万巻の生没年は不明ですが、『筥根山縁起』によれば、養老年間(717-723)に京都の沙弥智仁に生まれたとありますから、東大寺の造営に尽力した行基(668-749年)や白山を開山した泰澄(682-767)と活躍した年代が重なります。20歳で出家して、一万巻にも及ぶ経典を学習したことから万巻と称されたと伝えられています。在野にあって庶民の人気を集め、それが朝廷も注目するところとなって重用されたのも、行基や泰澄と共通します。
万巻は、相模国大早河上湖池水辺で修行し、三所権現(法躰・俗躰・女躰)を感得し、これを祭神として祀ったのが箱根権現であることから、「箱根三所権現」とも呼ばれました。
後に、金剛王院東福寺が箱根権現の別当寺とされると、三所権現はそれぞれ文殊菩薩、弥勒菩薩、観世音菩薩の垂迹とされて、これが本尊とされました。本地垂迹説は、10世紀ころに成立しますが、これは、仏菩薩が衆生済度のために、仮に神になって現れたものだとする説です。
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