地質学の初歩を学ぶのに適当な本はないだろうかと探していて、何気なく手にとった本書。紐解いてみると、著者の木村学氏が地質学者として研鑽を積んでいく過程と、プレートテクトニクス理論が導入されて地質学そのもののが革新されていく過程がオーバーラップする時代の物語として、とても面白く読めた。
木村氏が北海道大学の理学部に入学したのは大学闘争まっただ中の1968年。1年間は学生ストライキでまったく授業がない。せっかく自然科学への好奇心に溢れて大学に入ったのに、「あらゆる事象を弁証法的に解釈しなければいけない」などと、生噛りな哲学談義で暇つぶししているような状況に歯痒さを抑えられない。
ようやく、翌年から授業が開始されるが、今度は、自腹を切って出かけなければならないフィールドワークをこなすのに四苦八苦したり、学内派閥のために自由な研究ができない理不尽に翻弄されたりと、傍から見るとコメディのような話に思わず笑わされてしまう。
世界的には、1960年代末にプレートテクトニクス理論が地質学や地球物理学の世界にコペルニクス的なブレークスルーをもたらし、それまで壁にぶつかって足踏みしていたこの分野の研究を飛躍的に加速させていた。ところが、当時の日本の学会は、地殻が収縮するとことで皺の部分が山脈になり、伸びた部分は下向きの力が加わって陥没するという、明治の頃から信じられてきた『地向斜理論』に囚われたままで、プレートテクトニクス理論は、研究するどころかその名を口にすることもタブーであるような状況だった。
でも、木村氏をはじめとする若手研究者グループは、旧来の地向斜理論では説明のつかない様々な現象がプレートテクトニクス理論ではすんなり説明できるので、世界に遅れまいと、頑迷固陋な重鎮たちに隠れて「ゲリラゼミ」を開いて研究を進めていく。この頃には大学院生だった木村氏はゲリラゼミが露見すると、研究室から追い出され、研究者としての将来を失う可能性があった。だから、隠蔽工作も必死だ。そのあたりの経緯は、筒井康隆の『文学部唯野教授』の世界そのままで、それが現実だったということに思わず吹き出しつつ、日本のアカデミズムを担う学者の品性の低さに悲しくさせられる。
日本では、1980年代に入ってようやくプレートテクトニクス理論が認められ、地震や火山の研究も成果を上げるようになるが、それも木村氏たちのベトコンばりの活躍があってこそだったといえる。
しかし、そう考えれば、たかだか30数年の研究実績しかないものに、地震予知や噴火予知を期待するほうが間違っているともいえる。
よく、大きな自然災害は「べき乗則」的な経過を辿ると言われる。砂時計のように砂を落としていくと、下に砂山ができ、それが大きくなっていく。そのまま砂を落とし続けると、ある瞬間までは均整のとれた円錐形を保っているが、一粒の砂が落ちた瞬間に全体が崩壊する。砂山崩壊の臨界点までのエネルギー蓄積は計算できるが、どの砂粒が臨界のトリガーになるかはわからない。べき乗則とは、簡単にいえばそういったことだが、まさに地震や噴火のメカニズムはべき乗則で、臨界点に向かってエネルギーが蓄積されていくことはわかっても、いつ崩壊するかを正確に予測することはできない。現在、どれくらい危険な状態にあるのかというのも、人間のたかだか100年の一生は地球物理的な変化では一瞬でしかないので、その間に臨界点に達するかどうかも判断できない。
もちろん、防災的な見地からの研究も進められていて、精度は高くなってきているのだけれど、それがいかに困難なことなのかがよくわかる。
近年は、複雑系というパラダイムが登場して、還元主義的な科学の方法論に疑問を投げかけているが、木村氏は、さすがに自分がゲリラゼミを開いていた革新派だけあって、複雑系的なアプローチも積極的に取り入れて研究を進めている。
地質学の基本的な知識ももちろんフォローされているし、何よりプレートテクトニクスについて、ぼくのような文系人間にもよく理解できる内容で、本書を読んでから、さらに専門的な解説書が俄然読みたくなった。
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