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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.63
2015年2月5日号
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◆今回の内容
1 三島神をめぐるミッシングリンク
大山祗神社
三島鴨神社と伊豆の三島神
三島暦
2 お知らせ
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三島神をめぐるミッシングリンク
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以前、伊豆の聖地についての話で三島信仰について触れました。三島神はもとは天竺の王子で、長い旅路の末に伊豆に到来し、富士山の大神の力を借りて海底から熱い溶岩を湧き出させ、それが伊豆諸島になったと伊豆の創世神話は伝えています。これは、火山信仰を明確に物語っています。
伊豆諸島及び伊豆半島の東海岸地方では火山によって形成された島を「御島(みしま)」と呼んでいました。この島の呼び名が「三島」という神名に転化したと考えられています。御島=三島の神は、創世の際には今でも火山活動の盛んな三宅島を本拠地にしいました。のちに、三島神は、妃神である伊古那姫(イコナビメ=現在の白濱神社の祭神)とともに伊豆下田の白濱神社に遷座し、さらに現在の三島に遷座して三嶋大社になったとされています。
ところが、三島神にはもう一つの由来説があります。それは、瀬戸内海に浮かぶ大三島の氏神である大山祗神社の祭神である大山祗神が三島神と同体であるという説です。
神社本庁が行った全国神社祭祀祭礼総合調査では、全国には三島神社が411社あり、大山祗神社の地元である愛媛県に3分の1の111社、三嶋大社のある静岡県に36社、さらに福島県に35社、福岡県24社、高知県19社、神奈川県19社、大分県16社と続き、ほぼ全国に散らばっています。このうち、東日本では三嶋大社から勧請された神社がほとんどで、西日本では大山祇神社を本社とするものがほとんどです。
三島神という一柱の神の由来が、何故、静岡と愛媛という遠く離れた二カ所に分かれ、一方は火山神であり一方は山の神というまったく異なる性質を示しているのでしょうか。今回は、そんな三島神にまつわるミッシングリンクを埋める推論を展開してみたいと思います。
【大山祗神社】
大山祗神社が鎮座する愛媛県の大三島は国宝の島としても有名です。大山祗神社に奉納されている国宝の大半は刀剣や甲冑などの武具です。第二次大戦後、GHQがあまりの数の多さに、一部だけ残して処分するように命令しましたが、大山祇神社では、地中に隠して徴収の難を逃れたという逸話があります。武具が多いのは、鎌倉時代の源頼朝が三嶋大社とともに大山祗神社を尊崇し、武神としての大山祗神に武具を奉納したのを始めとして、その後、武家たちがこぞって武運を祈ったからでした。
頼朝は伊豆に配流され、伊豆半島の各地にも痕跡を残していますが、その頼朝が三嶋大社と大山祗神社をとくに崇拝したのは、やはり三島神と大山祗神を同じ神と考えていたからでしょう。
ちなみに、大山祇神社では社名は「大山祗」と表記し神名は「大山積神」と表記します。ここでは、混乱を避けるために、神名として一般的な「大山祗」で統一して説明していきます。
大三島には弥生時代の祭祀遺跡があり、太古から聖地とされていたことがうかがわれます。また、古くは「御島」と呼ばれていたとも伝えられ、伊豆の三島信仰と符合します。しかし、大三島を「御島」とするのは、伊豆の「御島」のように噴火によって火山島が形成されることを物語っているわけではなく、太古からの聖域であるという意味ですから、同じ「御島」でも性質が異なります。
大山祇神社の由来には諸説ありますが、『伊予国風土記』逸文には、大山祗神は百済から渡来して津の国(摂津国)の御嶋に鎮座した後に伊予国に勧請されたと記されています。
この大山祗神の勧請ルートは朝鮮半島から直接来たものとする説と朝鮮半島から大陸を経由して来たという説があります。朝鮮半島からの直行説は、伊予国の豪族であった越智氏が朝鮮半島に出征した際に大山祗神を戴いて帰国したとする説です。もう一つは、越智直が百済に出征した際に捕虜となり、その後釈放され、中国を経由で帰国して勧請したとする説です。
当時の摂津国に当たる大阪の高槻市には、三島鴨神社が鎮座し、社伝では最古の三島神社であるとされることから、この三島鴨神社が最初に大山祗神が勧請されて置かれた場所の可能性が高そうです。また古くは、大山祇神社と三嶋大社に三島鴨神社を加えた三つの三島神社を総称して「三三島」と呼ばれていることから、この三社の関係が深かったことがうかがえます。
伊豆の創世神話では、三島神が元は天竺の王子であったとしていますが、これは朝鮮半島から直行で渡来したのではなく、大陸経由で渡来し、出自を大陸と取り違えたものとも考えられます。
大山祗神は、その名が示すように、その本質は山の神です。とくに鉱物資源を指し示し、純然たる「山神」として祀られる場合は、水銀、金、銀、銅などの鉱物資源が豊富な場所の目印とされます。鉱山技術は6世紀に大挙して日本に渡来した秦氏がもたらしました。そのメインルートは、北九州から瀬戸内海を通って難波へ、さらに山城国や大和へ向かうものでした。三島鴨神社と大山祗神社の創建は6世紀とされていることから、そこには秦氏の影が色濃く感じられます。大山祗神を日本に勧請した越智氏が秦氏の傍流であるという説もあります。
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