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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.52
2014年8月21日号
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◆今回の内容
1 徒然の話
日本のピラミッド
大阪のレイライン
2 お知らせ
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徒然の話
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連日の猛暑に、今度は広島で大きな災害が起こってしまいましたね。その前は、四国と九州で記録的な大雨が降りましたが、「異常気象」という言葉がすでに当たり前になって、異常が日常と化しているような気がします。これからまた季節の変わり目となりますが、さらなる災害が起こらないことを祈るばかりです。
今回は、一貫したテーマの話ではなく、大きな社会的ニュースとなったエピソードと、私が新たに取り組んでいる大阪にまつわる話を紹介したいと思います。
【日本のピラミッド】
8月14日の新聞各社関西版のトップは明日香で見つかったピラミッドの記事が掲載されました。こちらは、「国内で初、奈良に大型ピラミッド方墳 蘇我稲目の墓?」と題されたWEBの記事(http://www.asahi.com/articles/ASG8C2FH0G8CPOMB001.html?iref=comtop_6_01)です。
その内容は、明日香の石舞台古墳の近くにある都塚(みやこづか)古墳の発掘調査で、この古墳がピラミッドに似た石積み構造を持っていることがわかったというものです。そして、このピラミッド様古墳に葬られたのが、6世紀から7世紀の大和朝廷で権勢を奮った蘇我氏の礎を築いた蘇我稲目ではないかと推定されています。
石舞台古墳は、稲目の子である馬子の墓と推定されていますから、この二つの古墳の共通性が高ければその確度も高くなります。
私は、以前この講座で、石舞台古墳がピラミッド様の形状をしていると解説しました。今見られる石組みは、ピラミッドの玄室のようなもので、かつては、その周囲は石を積み上げられたピラミッドではなかったか、あるいは土を盛った外側に石を積み上げた外壁を持っていたのではなかったかと推測しました。
そのときの記事をレイラインサイトのほうで、再録しましたので、ぜひ読み返してみてください。http://obtweb.typepad.jp/obt/2014/08/soga.html
ところで、戦前に酒井勝軍(さかいかつとき)というアマチュア考古学者が、日本にもピラミッドがあると提唱して、全国各地を巡り、一連のリストを作りました。酒井はアメリカでキリスト教神学を学び、神父となりましたが、古代史に興味を持ってエジプトのピラミッドを実地に調査し、帰国後に日本のピラミッド調査をはじめたのです。
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