1957年にノーベル賞作家パール・バックが著したこの小説は、50年後の2007年になって、ようやく日本語訳が出版された。
第二次大戦末期、ドイツが原爆開発を進めているという情報を亡命科学者たちがもたらし、アメリカは危機感を持つ。そして、あのマンハッタン計画がニューメキシコの砂漠の真ん中ロスアラモスでスタートを切る。
当初は、ドイツに対して、核による先制攻撃が可能であることをアピールする、「核抑止力」として原爆は造られるはずだった。
ところが、ドイツは自国の核開発は満足に進められないまま戦争に負け、ドイツに対する核抑止力として原爆を持つ意味は無くなった。この時点で、核開発をアメリカ政府に進言したアインシュタインをはじめとする亡命科学者たちは、もはや非人道的な大量殺戮兵器を開発保持することは意味がないばかりか、世界平和への妨げとなるとして、兵器開発の即時中止を訴える。
しかし、連合国側にいる優秀な物理学者を総動員して、巨費を投じたプロジェクトは、もう止めようがなかった。1945年7月16日、ニューメキシコ州ホワイトサンズ射爆場で行われた人類初の核爆発実験「トリニティテスト」は成功をおさめ、ついにアメリカは核爆弾を保持する。
このときアメリカと戦っていたのは日本だけだった。だが、その日本も軍はほとんど壊滅状態で、沖縄はすでに占領され、本土に米軍が上陸すれば即座に降伏することは目に見えていた。その満身創痍の日本に対して、アメリカはドイツにたいしては実際に使用することを考慮していなかった原爆を市民の頭上で炸裂させることにする。
そして、トリニティテストから一ヶ月もたたないうちに広島と長崎が消滅させられた。アメリカの大義名分では、「戦争を早期終結させて、日米双方の犠牲者がヒロシマ・ナガサキの犠牲者をはるかに越えることになることを防いだ」とされるが、日本がすでに敗戦の瀬戸際にあって、広島と長崎の犠牲などまったく必要でなかったことは、アメリカ自身がよくわかっていた。
では、なぜ広島と長崎が酷い目に遭わされたのか。それは、巨額の費用がかかったマンハッタン計画の成果を示す必要があったことに加え、ドイツ敗戦後にソ連がドイツの科学者を自国に拉致して核開発に当たらせていることを把握していたアメリカが、戦後の仮想敵として大きく立ち現れてきたソ連に対する威嚇デモンストレーションが必要と考えたせいだった。
そうした核開発にまつわる史実を核開発に当たった科学者たちの視点から描き出したのが、この「神の火を制御せよ」だ。
原題は"Command the Morning"。「暁を制す」といった意味になる。旧約聖書『ヨブ記』38章にある"Hast thou (Have you) commanded the morning?"「汝は暁を制したことがあるか?」というヨブへの神の問いかけから取られている。
1938年12月、ドイツベルリンのマックスプランツ研究所でオットー・ハーンのチームが、ウランに中性子を照射するとバリウムが発生することを発見した。この発見を元にユダヤ系オーストリア人物理学者で、ストックホルムに亡命していたリーゼ・マイトナーがウラン原子の核分裂の原理としてまとめ上げる。これがすべての始まりだった。
ウランに中性子を照射することで、ウランは核分裂を起こし、熱と新たな中性子を放出する、そこで生じた中性子がさらなる核分裂を引き起こす。この連鎖反応が密閉された容器の中で起これば、それは途方も無い破壊力を持つ爆弾になることは明らかだった。
物理学者たちは、純粋な好奇心から、この核分裂の連鎖反応の原理を実験で確かめることに躍起になる。この実験には複雑な装置とそれを建設する莫大な費用がかかる。その格好の受け皿がマンハッタン計画であったともいえる。
マンハッタン計画に関わった科学者たちは、核分裂エネルギーが兵器として使われることは当然承知していた。しかし、それはあくまでも「抑止力=脅し」に利用されるだけで、実際に殺戮に使われはしないと、自分を納得させていた。
実際に作業がはじまり、原爆完成までのプロセスでは、兵器を作っているという後ろめたさよりも、未知のエネルギーを自分たちが作り出しているという高揚感に包まれている。
後にノーベル物理学賞を受賞することになるファインマンも、中堅の研究者としてマンハッタン計画に携わっていたが、彼の自伝『ご冗談でしょう、ファインマンさん』では、軍の最高機密施設で働いているというよりも、今のGoogleのオフィスのようなフランクな環境の中で、楽みながら仕事をしていた様子が記されている。ピッキングの技術を身につけたファインマンが機密文書の入った金庫を破って得意になっていたり、プルトニウムが密封されたボールを素手で握り、核爆弾の心臓であるそのボールが放つ温かさに秘められたエネルギーを実感したり……そんな能天気な場面が広島・長崎の無惨に繋がっていくことに背筋が寒くなる。
パール・バックが描く主人公たちは、結婚生活に問題を抱えていたり、愛憎問題に心悩ませていて、それが彼らの心の中では、彼らが携わる重大な研究と同列の重さを占めている。所詮、人間は神ではないのだ。
核兵器開発にずっと疑問を抱きながらも、抑止力としてしか使われないと自分を欺いていた主人公は、バターンの死の行進の記事を読んで、「こんな残酷な日本兵は早く殲滅しなければならない」と感情を爆発させる。それで、原爆の開発とその使用に正当性を持たせたつもりだったが、それでも8000人の米兵とフィリピン人が殺されたバターンの虐殺と比較にならない原爆の破壊力を考えると、やはりこれを兵器として使用してはならないと思い直す。だが、すでに時は遅く、莫大な人と金をつぎ込んだマンハッタン計画は、最後まで突き進まなければ収拾がつかなくなっていた…。
人間は誰しも、感情に左右され、人類全体の未来に関わるような問題=暁を制することなど不可能だと、あえて人間ドラマを描くことでパール・バックは訴えている。
1957年に出版され、各国でも翻訳出版されてベストセラーとなった本書がなぜ一方の当事者である日本で出版されるまでに50年もかかったのか。それは、パール・バックがあえて人間ドラマとしてマンハッタン計画を描いたことで、原爆を使うことが非人道的だとはわかりきっていても、様々なしがらみの中で、それを使ってみずにはいられなかったという事実が赤裸々にされ、それが日本人の感情を害することを恐れたからだろう。
しかし、本書を読めば、人間という感情に弱い生き物が、核という制御できない力を手にした時にどうなってしまうのか、日本人としても冷静に理解できる。フクシマで日本は核被害国から核加害国にもなってしまった。だからこそ、日本人は、今、この本を読んで暁を制することができるのか、真剣に考えてみるべきだと思う。
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