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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.14
2013年1月17日号
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◆今週のメニュー
1 聖地に呼ばれるために
・聖なる空間の発見
・啓示
・人体と大地の照応
2 コラム「縄文クラブ」
3 お知らせ
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聖地に呼ばれるために
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【聖なる空間の発見】
気になるテーマや問題があって、でもそれに対する答えや対処法
が見つからなくて、ずっとモヤモヤしている。そんなときに、ふと
立ち寄った書店で手にした一冊の本の中に、自分が気にかかってい
たことを明快に解き明かしてくれたり、目からうろこが落ちるよう
な斬新な対処法を教示してくれる箇所を発見する。そんな、一種の
シンクロニシティともいえるようなことを誰でも一度や二度は経験
したことがあるでしょう。
そんな体験をすると、その本は、自分がその書店に足を運んでそ
の棚の前に進み、数ある本の中からその一冊を取りあげ、必要なペ
ージを開くことを予期していて、そこで待ち受けていたに違いない
と思えたりするものです。
前回の記事で、「明日香に呼ばれる」と表現したのもまさに同じ
状態でした。
発端は、近畿のレイラインに興味を持ったことで、その時には明
日香というキーワードは出て来なかったのですが、京都、奈良、伊
勢、熊野、淡路島と調べていくうちに、明日香という土地もまた重
要なポイントの一つであることに気づきました。ところが、近畿の
レイラインを構成するポイントであることはわかっても、明日香が
どのような位置づけにあって、どう機能しているのかがわからない。
そんなとき、飛鳥時代から奈良時代への変遷の中で、宗教を司っ
た豪族たちがどのように風水的仕掛けを施したのかを解説した一文
をある研究書の中に見つけ出しました。それがきっかけになって、
近畿に仕掛けられたレイラインの意味が、よりはっきり見えてくる
と同時に、明日香という土地に対する興味が俄然強くなってきまし
た。
そして、今度は、明日香に焦点を絞り、飛鳥時代について様々な
文献を漁ったり、デジタルマップで明日香の中の気になる聖地を調
べたりしているうちに、明日香を横断する「太陽の道」というレイ
ラインを調査している現地の団体から講演の依頼が舞い込みました。
まだレイラインのサイトでもコラムでも、私が明日香に興味を持っ
ているとは一言も書いておらず、まったく偶然の誘いでした。
その講演先では、これもまた昔から気になっていた空海について
の情報が飛び込んでくることになりました。
そんなことがあって、次に集中的に調査したい場所として、明日
香を意識した矢先に、前回の配信記事のように、明日香の行政のほ
うから調査の打診を受けることになったのです。
聖地の探索をしていると、こうしたことが頻繁に起こります。自
分がある聖地について気にかけはじめると、自然にその聖地に関す
る情報が集まりはじめ、ある程度その聖地に対する見方が固まると、
その機が熟すのを待っていたかのように、聖地に呼び寄せられる。
いささかオカルトめいていますが、何度もそんな経験をしていくう
ちに、それが聖地へのいちばん正しいアプローチなのだと確信する
ようになりました。
ミルチャ・エリアーデは『聖なる空間と時間』の中で、次のよう
に記しています。
「場所はけっして人間が選択するものではない。ただ単にそれは人
間に『発見される』だけである。換言すれば、聖なる空間は、何ら
かの仕方で人間に『啓示される』。その『啓示』は、必ずしも直接
的なヒエロファニー(顕現)の形態を通してなされるとはかぎらない。
時には、宇宙論的体系から引き出され、それに基づく伝統的な技術
によって「啓示」が得られることもある。『方位づけ(orientatio)』
は、その地点を『発見する』ための主な手段の一つである」。
ここでエリアーデが言わんとしているのは、聖地は人間の意志で
発見されるのではなく、聖地の「意志」によって人間による発見を
促すということ。主体性は人間ではなく聖地にあるということです。
また、聖地がその聖性を人間に知らせる「啓示」には、様々な形が
あり、人間の側がアプローチしていく方法としては、風水のような
「方位づけ」が、有効であるということです。先に紹介した、私の
「聖地に呼び寄せられる」という感覚を正確に言い表してくれてい
ます。
エリアーデは、「ヒエロファニー」という言葉をよく使いますが、
これは聖なるものの顕現という意味で、恍惚感を伴った聖的体験を
もたらすビジョンを言います。さらに「クラフトファニー(力の顕現)」
という言葉もしばしば用いられますが、これは雷に打たれる、蛇に
噛まれるといった、超常的な力を体に受けることを指します。「啓
示」という場合はこの両者を含み、さらには、それと意識していな
ければ感知できない些細な自然現象や土地にまつわる神話を理解し
ていてはじめてインスピレーションが湧くようなビジョンまで含ま
れています。
聖地が人間にどんな啓示を与えてくるのかは予測できません。ま
た、人間の側に啓示を啓示として受け取る下地がなければ、それを
正しく理解することもできず、せっかく目の前に聖地がその存在を
現しているのに、何も気づかずに通りすぎてしまうことになります。
聖地学講座のいちばんの目標は、聖地の歴史や聖地と人との関係、
あるいは聖地を形作る自然条件や工学などを考察していくことで、
聖地が示す「啓示」を見落とさない感覚を養うことです。それは、
「聖なる空間」によって自分が発見される可能性を高めること、言
い換えれば聖地に呼び寄せられる確率を高めていくことでもありま
す。
そんな意識を持って、今まで紹介してきた記事を振り返り、さら
に、これから紹介していく記事を読んでいただけると、聖地がどの
ようなものであるかというイメージが一層はっきりしてくると思い
ます。
今回は、まず、聖地を発見する=聖地に発見されるのにキーとな
る啓示について考察してみたいと思います。
****聖地学講座 第14回より抜粋****
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