5日のエントリーで、新たに『e4』というプロジェクトが立ち上がったことを紹介したが、 このe4のコアとなるメディアの準備も進んでいる。
アウトドアに親しんできたメンバーが、頭でっかちで観念的ではない「エコライフ」について考察し、 実践していく……そんなスタンスで表現していこうと思っている。
そのメディアの基本コンセプト。
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--人は地球とともにある。 些細な気づきからそれを実感できるメディアを--
・地球=自然に対する「愛着」 をコアとし、それをスタッフもユーザーもともに共有する。
・ぼくたち人間はどこからやってきて、この地球とどうやって共生し、これからどこへ向かって行くのか。自問自答しながら、 様々な事象を観察していく。
・ただパーソナルな感覚で語るのではなく、一人一人が人類の代表として、自分(自分たち)がどうあるべきかを意識の根底に置いて発想し、 問題提起し、みんなで考えあえる「場」を醸成していく。
・「心地いい」とは、 どういうことなのか? 物欲を満たすのではなく(たとえモノを取っかかりとしても)、精神が満たされ、 それが他の人へ温もりとなって波及していくようなそんなテイストを持ったレポートが溢れている。
・ときに物事を辛辣に眺め、あえて自己批判も辞せず、間違ったことは間違ったこととして反省し、どうして間違ったのか、 それを自己検証していく。
・イデオロギーや宗教の拘束を受けない「日本人」特有の精神を武器として、自由に「異文化」を徘徊し、独自の視点から分析していく……批判・ 分析ではなく寛容・理解・融合という「日本的」アプローチで世界を「緩く」溶かし込んでいく。
・↑は、異文化だけでなく、様々なカテゴリーにも当てはまる。分野に囚われず、e4的発想と感覚でもって、あらゆるこの世の出来事を見つめ、 それに引っかかったものを観察し、突入し、表現していく。
・バーチャルで完結するのではなく、「人を動かし」、「人の感情、感覚を呼び覚まし」、「人がより深く体験したいと切望し」、 「動いた人が他の人にさらに訴えかける」……そうした連鎖を引き起こすような表現と仕組みを意識する。
・自分たちにとって利益があることを追求するのではなく、ユーザーにとって最大の利益があり、それをさらに分け与えていこうと思わせる、 そんな情報と枠組みを提供する→金銭だけが利益なのではなく、 情報や体験が大きな利益(満足)をもたらすものであるということを実感させる(自分たちも実感する)。
・ステークホルダーが形骸化や権威化に対して鋭い嗅覚を持ち続け、変化・変容を畏れず、 逆にシフトしていく方向へみんなの意識が向いているような環境整備をし続けること。メディアが「権威」「権力」になってはいけない。 ひたすら謙虚であること。
・人の心を豊かにすることが自分の心を豊かにする。それを実践し、その感覚が自然に波紋となって広がっていくことを常に意識すること。
・もっとも大切なこと……それは、メディアそのものが、次世代を担う子供たちに向けてのメッセージであると、強く自覚すること。
・コンセプトや思いは共通であっても、具体的な好みや方法論、見解は異なる。それをあらかじめ寛容すること。 その姿勢がメディアの表現に生かされること。
・伝える側が「気づき」、 「考え」、「感動する」ことで、それを伝染させていく。様々な行為を楽しみ、 それを表現し伝えることを楽しむ(楽しんでもらう)ためのメディア。
・「自分はどう生きればいいのか」と模索する人を応援し、ともに考えるメディア。
・「今までの生き方を少し考え直してみようか」とライフスタイルを見直そうとする人たちに小さな気づきを提供できるメディア。
・「田舎暮らし」、「都会生活」、「LOHAS」、「スローライフ」……既成の概念に囚われない、でもどれも否定はしない。 それぞれの良さをもう一度見直して、トータルでどんなスタイルができるのか組み替えを試みてみるメディア。
・「初心者向け」でもない「玄人向け」でもない。「生きるということにかけては、みんなが玄人なのだ」という意識を持って、 どんな人からでもライフスタイルの気づきを引き出し、みんなのヒントとなるように表現するメディア。
・物事をただ紹介するだけではなく、人が行動に移れる道筋まできっちりとフォローするメディア。 →連動するコマースやアウトフィッターもその役割をしっかりと果たす。
・先入観や固定観念によって膠着している事象をもう一度見直し、あらたな視点を導入させることで物事そのものに輝きを与えるメディア。 →例えば、レイラインという観点から神社仏閣を見ることで、突然それらがワンダーランドに思えるように、身近なところから発想して、 そういう視点を見つけ出し、それを楽しみ、伝えていく。
↑「この世界は合理だけではない。目に見えるものだけではない。ある場所に立ったとして、その風景の背後にあるものまで見なければ、 その場所と本当に親しくなったとはいえない。
自然と対面して生きる、自然の中で生きる、自然に拠って生きるとは、目前の雪原の上にいつか見たオオカミの足跡を重ねてみること、 オオカミが雪の上を歩いていったその時を自分の中に持ち続けることである。それが、 より大きな枠の中にいる自分という安心感をもたらす(星野道夫の著作に寄せた池沢夏樹の一文)」
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