今日から、天の配置が変わった。
乾いた涼しい大陸の高気圧が張り出してくると、何故か懐かしく、ホッとした気分になる。
母方の祖母は、そのルーツがあまりはっきりせず、昔、直接聴いた話では、 群馬の赤城山の中腹に江戸時代の後期に住み着いた漂泊民らしいのだが、鷲鼻で肌が白かった祖母の雰囲気は、 どうも大陸のスラブの血が混ざっているような感じだった。昔、シルクロードを旅したときは、 ぼく自身がウイグル族の人たちから同族だと思われ、いくら日本人だと主張しても、信じてもらえなかった。あまり定かではないけれど、 そんな血に刻まれた記憶とでもいったようなものが、この大陸からやってきた空気に郷愁を感じるのだろうか?
秋になると、俄然、頭のほうも冴えて、ようやく「動きだそう」という気になってくる。
それにしても、この夏の天候不順はどういうことだったのだろう。昔の人たちは、天変地異を単なる自然現象ではなく、「神の怒り」 ととらえた。今では、気象レーダーをはじめとする様々な観測機器やコンピュータ予測によって、気象変化をかなりとらえられるようになったが、 それでも、個別の現象は「想定外」のことばかりだ。
古代の人たちは、「王」という存在をそうした自然の象徴と考えていた。王は人の力の及ばない自然を支配する力を持つと信じられ、 だからこそ敬われていた。しかし、その王の管理する自然が人々に対して猛威を奮うと、それは、王の力が無くなったことの証明として、 王は殺され、次の王が立てられた。
政治を司るものは絶大な権力を持つと同時に、命をかけた義務を負わされていた。
政治というものは、命がけなものだと、そろそろ、どこぞの「政治屋」たちにもわからせてやったほうがいいのかもしれない……。
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