「移動の快感」……とでも言ったらいいのだろうか?
先月末から今月前半にかけて中央アジアに渡り、現地で10日間で5000kmを移動した。早朝に起きて慌ただしく朝食を摂り、 荷物をまとめて車に乗り込む。タクラマカン砂漠を巡り、中央を貫く道を一日平均10時間、長いときで14時間車に揺られ、夜にホテルに到着。 レセプションやらなにやらで、寝るのは深夜。車の中で眠る時間はあるが、狭く、リクライニングもできないシートでは、 せいぜいうつらうつらする程度で、まったく休まらない。
旅の前半は、このペースではとても体が持たないと思ったが、次第に慣らされて、10時間の移動も苦ではなくなった。もどかしいのは、 自分で車を運転できないことで、ただ揺られていることの退屈を紛らすために、しきりにカメラのシャッターを切った。
そして、流れ飛ぶ窓外の景色を眺めながら、昔のレースの光景を思い出していた。
必要最小限の行動食と水だけを背負って、灼熱の砂漠をオフロードバイクで駆け抜けていく快感……それは、 体験した者だけがわかる宗教体験のようなものだ。
スタート直前の、胃袋がひっくり返るような緊張感。アクセルを開けて飛び出した瞬間は、自分の中の何かが勢い良く弾け飛び、 無我夢中でスロットルをワイドオープンしていく。幾度か、限界を超えたスピードでコーナーに突っ込んだり、 あるいはギャップを飛び越えて恐ろしい思いをして、次第に神経が沈静化していく。そして、気がつくと、 ハイスピードのアベレージで飛ばしながら、まるで瞑想でもしているような透明な気分に入っていく。
エンジン音や砂利を蹴立てるタイヤノイズ、乾いたブッシュがハンドガードにぶつかって千切れる音、そして風切り音…… 耳をろうする騒音に包まれているはずなのだが、何故か、無声映画のスクリーンを前にしているように、恐ろしいほどの静寂に包まれている。 そして、ただ風景だけが飛び去っていく。
自分にとって、もっとも心地良い瞬間は何かと問われれば、この高速移動の中の瞑想状態だと答えるだろう。
「移動の快感」……そのために、旅をして、エンデューロレースを走り、 短い時間でも自由ができればショートトリップやツーリングに出かけていた。それが日常だった時代があったのに、長い間、 ぼくはそのことを忘れていた。
本来的にノマドなのだと思う。
なのに、いつからか、移動には目的がともなっていなければならないと思うようになっていた。移動とは、何かを求めてするもの。 人生における何かのテーマがあって、そのために必要だから移動する……だが、移動そのものが目的であってもいいのだ。
そもそもがエピキュリアンなのだと思う。
それを目的意識を持って人生を歩もうとするがあまり、無目的な「移動」は「罪悪」だという強迫観念に囚われ、「無目的・無意味」 な移動を控えることで、自分を蝕んできた。
中央アジアから戻り、久しぶりに自分でハンドルを握って、なじみ深い廻り目平まで出かけた。土曜の午後に東京を出発して、 あっという間に現地に着いた。
その日は、アウトドアプロジェクトの合宿ミーティングがあり、翌日の午前中はボルダリングで遊んだ。そして、これも久しぶりに、 かつてのオフロードライダーのメッカであった川上牧丘林道を越えた。ここは、BAJA1000に挑戦する前に、走り込んだ懐かしいルートだ。
今、ぼくが乗っているBMWR1200GSADVというバイクは、いちおうオフロードバイクのスタイルはしているが、 車重が250kgもあって、ダートを気持ちよく飛ばすというわけにはいかない。だが、懐かしいダートに飛び込んで、 最初は抑えて走っていたけれど、だんだんと「移動の快感」に包まれ、気がつけば、かつてエンデューロバイクで走っていたときのように、 スロットルを煽っている。
かつては山梨県側から長野県側まで、全線がダートで走り応えのあるオフロードだった。今は峠の山梨県側は舗装され、 長野県側だけがダートになっている。
奥秩父の主稜線上にある大弛峠は、奥秩父最高峰の「北奧千丈岳」や奥秩父南部を象徴する名峰「金峰山」へのアプローチが容易で、 山梨県側からのアプローチが容易になったおかげで、峠には登山者の車や客待ちのタクシーが溢れている。
淀んだ雰囲気の峠はさっさと後にして、ワインディングを駆け下り、勝沼から中央道に入る。
渋滞の兆しが見え始めた中央道をバイクの機動性を生かして走り抜け、あっという間に都会に戻ってきた。
でも、走ることを止めることを本能が許さなかった。
どこへ行くのかはわからない。だけど、所詮、人生なんてそんなものではないか。感覚の赴くまま、移動の快感に身を委ねて、 どこまでも行ってみよう。
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