因縁という言い方ではどこかおどろおどろしいし、再会という言い方では含みが弱い。いろいろ考えると、英語の「Coincidence」という言葉が透明でありながら、そこにはただの出会いや再会とは違った含みがあってぴったりくるように思う。
何のことかというと、この一ヶ月のぼくを取り巻く状況の話だ。
前回のコラムで、ゲーム開発時代の旧友と再会した話を書いた。有楽町で彼の講演会があり、その情報を得たぼくは自発的に彼の話を聞きに行ったわけだが、その後、1ヶ月の間に、同じゲーム開発時代の知り合いから連絡があり、また同じプロジェクトに関わることになった。
さらにその翌日、小春日和の陽気に誘われて自宅の近くにある東京外国語大学の学園祭に出かけてみると、もう10年以上顔を合わせていなかった旧友と出くわした。
40代以上の人で10代のときに多少なりとも音楽に興味をもった人なら「アナーキー」というバンドの名前を聞いたことがあるだろう。その中でいちばん目立っていて、インパクトの強かったボーカルの仲野茂。彼が外語大で出くわした旧友だ。
彼とぼくは1985年にペアを組んで、BAJA1000というメキシコで行われるオフロードレースにバイクで出場して日本人のライダーとしては二組目の完走を果たした。
外見の雰囲気からすると、彼のほうが大雑把で大胆、ぼくのほうが繊細でナイーブなイメージを持たれるが、実際はまったく逆で、彼は細かいところに気がつき、周囲に常に気をつかい、細かいことをコツコツ築いていくタイプ。ぼくのほうは、物事に無頓着で人のことなど何も気にしない。そんな正反対の性格の二人がチームを組んだレースは、いろいろドタバタもありながら、お互いを補い合って、じつに楽しく進んで、いい結果を残せた。
その後も一緒にキャンプに行ったり、バイクに乗って遊んだりしていたが、彼はバンド活動からさらに役者へとキャリアを進め、ぼくのほうはゲーム業界に足を突っ込んだりして、だんだん疎遠になってしまった。
そして10年以上も音沙汰もなく時が流れ……偶然、外語大の学園祭で芝生に腰掛けて仲間とボージョレーヌーボーを何本も空けて出来上がっている懐かしい顔と再会したわけだ。
彼は、ぼくが声を掛けるとすぐに気づいて、「あれぇ」なんて素っ頓狂な声を上げて、再会を喜んでくれた。そして、一緒にいた仲間たちに「いつも話しているBAJAを一緒に走った内田君だよ」と紹介してくれた。
長いブランクがあっても、顔を合わせたその瞬間に20年前のあのときに戻れてしまうのは、若いときにそれだけ濃密な時間を一緒にすごした証だろう。レースに望む前の練習のあれこれや、レース中のシーンなどが、まさに昨日のことのように思い出される。
もともと有機農法の食品にこだわったり、ナチュラル志向だった彼は、今、富士山の麓で陶芸をしたりして過ごしているという。一見ナチュラルな世界と正反対にいるような彼がそういう生活を送り、一見ナチュラリストのようなぼくが不健康な都会生活をしているところなど、まさに昔の姿そのままで、そんなことも含めて「お互い、変わらないねぇ」なんて笑いあった。富士山麓での再会を約して、その場は別れた。
そして、週が空けてすぐ、今度は15年来の付き合いの編集者から連絡があり、ぼくがライター人生をスタートさせたちょうどそのときにかかわった雑誌の編集に参加するよう要請された。じつは、その話は去年から浮かんでは消えてを繰り返していて、ぼくとしてはもうほとんど期待をしていなかったのだが、今月に入ってからとんとん拍子に話が運んで、一気に実現の運びとなったというわけだ。
フリーランスとして仕事をはじめてちょうど20年目、心の底から信頼できる友人たちと新たな世界を築いていけというメッセージなのかもしれない。
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