昨日は早朝に東京を出発して阿武隈の山々をオートバイで巡った。
茨城県の北部から福島にかけて標高1000mにも満たない小山が連なる山地。高さはない代わりに途方もない広がりがあって、小高いピークに登って見渡すと、低木と草原を載せた緩やかなカーブの山並みが見渡す限り続いている。
高山のピークを目指すのもいいけれど、こうした広がりのある山域を気ままに辿るのも気分がいい。
何より阿武隈の山々と向き合うと心の底から落ち着く。
ぼくが高校時代に始めて登山を体験したのは、この阿武隈の一角だから、故郷に帰ったようで安心するということもある。でも、それ以上に、日本の「山」を象徴する風景や雰囲気がこの阿武隈にあるからだろう。
日本人として血に刻まれた記憶が、阿武隈の山に接することで呼び起こされ、郷愁を掻き立てるのだろう。
じつは、同じようにそこはかとない郷愁を感じさせる山並みが各地にある。
東北なら北上山地、信州の後立山連峰に対峙する東山の連山、あるいは高山から郡上八幡へ抜ける間の優しく明るい山並み、四国や中国のカルスト台地、熊野の果無山脈、そして九州の九重……。
北アルプスや八ヶ岳といった高山がピークを征服することを目的としたスポーツの対象であったり、山岳信仰の対象として同じくピークを目指す修行の場であったりして、天にそそり立つ「一点」にすべてが集約されるのに対して、阿武隈のような場所は目的など持たずにただ心を開きに訪れるのが似合う。
そして、阿武隈のような広がりを持った山地では、神聖が集約する高山に対して、それが拡散して偏在する場所ともいえる。
何にしろ、集約されて何かの密度が高まった場所は緊張感があり、そこに居るあるいは向かう人間のテンションは高まる。平地になると密度は薄まりすぎて、緊張感がなくなってしまう。阿武隈のような場所はちょうどその中間にあって、緊張と弛緩がちょうどいいバランスにある。
今回はこの阿武隈の山の中に点在する7ヵ所のポイントを巡るのが目的だった。
巨石遺構に関係のあるその7ヵ所を結ぶと、大地に大きな北斗七星が描き出される。それぞれの場所が実際にどんなところで、そこに何があるのか確かめることが目的だった。
でも、抜けるような青空と間近に行過ぎる雲と追いかけっこするように草原の道を駆け抜けていくと、古代だか超古代だかの謎なんてどうでもいいことに思えてくる。
北斗七星の一つ一つの星に対応する7ヵ所のポイントはそれぞれ特徴があるが、走り抜ける途中の丘の上からあたりを見渡すと、そこらじゅうに愛嬌のあるピークがあって、それぞれが何か意味を秘めて、密やかに語りかけてきているように思える。
このあたりに太古か古代に住んでいた人たちが、大陸から渡来してきた陰陽道もしくはその原型となる思想に基づいて大地に北斗七星を描き、さらにその先にある北極星を指し示した……といった推論を確かめにやってきて、北極星に位置する面白い場所も見つけたりしたのだが、たおやかな山並みに抱かれているうちに、めっきり興奮が醒めて、どうでもいいことに思えてきた。
阿武隈の丘の上で眺める星空は壮絶だ。
目の前で眩しく輝く星星を見た古代人たちは、夜が開けて大地を見回して、そこに天に散らばる星と同じように散らばる丘を見て、ほんの少し酔狂を起こしたのだろう。
一つ一つの丘をそれに対応する天の星に見立てて、頂上の岩盤を露出させて目印を刻んだ。そしてまた夜の星空を眺めて、それと自分たちが刻んだ大地の星とを見比べて悦に入っていたに違いない。
気候が温暖で、食料も豊富なこの土地では、そんな酔狂にうつつをぬかす暇も体力もそして想像力もあっただろう。
なんだか、山を巡るうちに、陰陽道との因果関係やら太古の思想体系やらと、理屈を考えていた自分が途方もなく愚かに思えてきた。
唯一絶対神ではなく、もっとずっと低級というか穏やかで角がとれていて、人間に近い親しみやすい八百万の神々をイメージしたぼくたちの祖先は、まさにこんな自然をそのまま神話化したのだろう。
ここには最も崇めるべき抜きん出た聖地などどこにもないけれど、一つ一つの丘がちょっぴり神聖で、そこに立ったらペコリと頭の一つも下げたくなるようなところで、だからこそその自然を大切にしたくなるような場所といえるだろう。
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