昨日は、祖母の命日だった。
明治30年生まれの祖母は、24年前に亡くなったが、その生涯のほとんどの期間、日本は戦争に明け暮れていた。
日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争。だから、祖母は、平和に暮らせることがどれだけ幸せなことなのか、いつも話していた。30数年前の彼岸、祖母と二人で先祖の墓参りに行き、穏やかな日和だったので霊園の中を散歩した。
すると、祖母は、「この人はビルマで亡くなったんだよ。この人はね南方戦線で亡くなって、遺骨はまだ帰ってきていないんだ」と、知り合いの墓の一つ一つ、そこに眠る人のことを独り言のように話した。そして、霊園を一周りして出るときに、「平和はいいねぇ。こんなに平和で穏やかで、いいんだろうかねぇ」と、しみじみ呟いた。
その年、父が亡くなり、祖母はぼくと二人で霊園を散歩した時に「こんなに平和で穏やかで、いいんだろうかねぇ」と呟いたことを自分が不吉を招いてしまったのではないかと悔やみ、そんなことはないとぼくは祖母を慰めることになったが、今、思い返しても、あのとき、祖母は自分の人生の大半が日本がどこかの国と戦争を続けてきた歴史に重なることを思い返して、平和の尊さをつくづく感じて、あの言葉を発したのだろうと思う。
祖母の思い出を振り返ると、真っ先に浮かぶのは、あの時の祖母の本当に穏やかで嬉しそうな笑顔だ。
昨日の命日は、後藤健二さんの訃報という悲しいニュースが飛び込んできて、やるせない気持ちになった。そして同時に、祖母のあの笑顔を思い出し、後藤さんも戦地や紛争地域で、つかの間の平和の瞬間に子どもたちや普通の市民が見せる同じ笑顔を広めていくことで、戦争の虚しさ、バカバカしさを伝えようとしたのだろうと思った。
政治や宗教が人々にもたらさなければならないのは、一部の人間にとっての利益やエゴに満ちた国益や、つまらないプライドなどではないはずだ。政治も宗教も、実現しなければならないのは、みんなが穏やかに笑顔で暮らせる世界、それ以外には何もない。
後藤健二さんは、紛争地帯で人が見せる屈託のない笑顔が、束の間のものではなく、当たり前の日常にならなければいけないと伝えたかったんだと思う。
殺戮者の刃に、粛々と自分の首を差し出した後藤健二さんの姿は、平和の尊さを伝えようとした志士そのものだった。最期に見せた彼の真剣な眼差しは、全身全霊を込めた平和への訴えだった。そして、静かに目を瞑り、彼は一人のキリスト者として、神に平和を祈った。
命を掛けた彼の平和への思いをしっかりと受け継いで、広めていかなければならない。
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