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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.09
2012年11月01日号
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◆今週のメニュー
1 この世とあの世を結ぶ場所 2
「蛇の信仰」
・ギルガメシュ叙事詩に現れる冥界への入り口
・あの世とこの世を結ぶ「蛇」
・蛇を祀る聖地
2 コラム ダウジングで発見された温泉
3 お知らせ
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この世とあの世を結ぶ場所 2
「蛇の信仰」
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【ギルガメシュ叙事詩に現れる冥界への入り口】
前回、巨岩がこの世とあの世(冥界)を結ぶ入口とされてきた例と
して、熊野の花の窟と各地の天の岩戸伝説、アボリジナルの聖地ウ
ルルなどを挙げました。同じように巨岩を冥界への入口とする話が、
シュメールの「ギルガメシュ叙事詩」の中にも描かれています。
主人公のギルガメシュが不老不死の薬を求めて、冥界への入口で
ある巨大な岩山「マーシュ山」へと向かいます。「マーシュ」とは、
バビロニア語で「双生児」の意味で、マーシュ山は二つのピークを
連ねた双耳峰です。
日本では、奈良の二上山や茨城の筑波山が双耳峰として有名です
が、これらもこの世と冥界を繋ぐ聖山とされていました。
この稿の後半でもご紹介する大神神社からは、ちょうど春分と秋
分の日に二上山の双耳峰の間に沈む夕日を拝むことができます。ま
た、茨城県南部にある鹿島神宮から見ると、筑波山は夏至の太陽が
沈む方向にあたります。
太陽信仰では、一年を大きな一日のサイクルと見立てます。その
観点で見ると、春分はその日を境に昼が長くなっていくので夜明け、
逆に夜が長くなっていく秋分は日暮れ、昼の時間がいちばん長い夏
至は太陽が南天する真昼、冬至は真夜中となるわけです。
そして、春分から秋分の直前までは、太陽が優勢な「昼の季節」
で明るい此岸が支配的になり、秋分から春分の直前までは、太陽の
力が弱まる「夜の季節」で暗い彼岸が支配的になります。この此岸
の力と彼岸の力が入れ替わる春分と秋分を中心として、「お彼岸」
が行われるわけです。お彼岸には、此岸と彼岸が近づき、交錯しま
す。そこで、彼岸にいる故人たちがしばしの間だけ、此岸にやって
きて生きている人間と交流するとされました。
夏至の太陽は、一年でいちばん勢力が強いことを象徴しています。
この太陽を拝することで、鹿島神宮はその力を取り入れ、聖地とし
てのエネルギーをチャージしようとしたのでしょう。
双耳峰に沈む太陽は、あたかも天にある口に飲み込まれるように
見えます。太陽を飲み込み、反対側から見れば太陽を吐き出す双耳
峰は、当然、そこがこの世とあの世を繋ぐ出入口に見えたはずです。
ギルガメシュ叙事詩では、ギルガメシュはその双耳峰の中腹にあ
る大岩の間から冥界の底へ降りました。そこでギルガメシュは不死
の人ウトナピシュティムと出会います。そして、ウトナピシュティ
ムから不死となるための植物が生えている場所を聞き出します。ギ
ルガメシュが冥界へと降りたのは、不死となる方法を知るためだっ
たのです。
ウトナピシュティムが住んでいたのは、冥界の中の二つの川が合
流する場所でした。川の合流点も、それぞれ異質な世界を流れ下っ
てきた水がひとつに合流することから、全世界的に聖地とされるこ
とが多い場所です。
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http://www.mag2.com/m/0001549333.html
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1 この世とあの世を結ぶ場所 2
「蛇の信仰」
・ギルガメシュ叙事詩に現れる冥界への入り口
・あの世とこの世を結ぶ「蛇」
・蛇を祀る聖地
2 コラム ダウジングで発見された温泉
3 お知らせ
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この世とあの世を結ぶ場所 2
「蛇の信仰」
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【ギルガメシュ叙事詩に現れる冥界への入り口】
前回、巨岩がこの世とあの世(冥界)を結ぶ入口とされてきた例と
して、熊野の花の窟と各地の天の岩戸伝説、アボリジナルの聖地ウ
ルルなどを挙げました。同じように巨岩を冥界への入口とする話が、
シュメールの「ギルガメシュ叙事詩」の中にも描かれています。
主人公のギルガメシュが不老不死の薬を求めて、冥界への入口で
ある巨大な岩山「マーシュ山」へと向かいます。「マーシュ」とは、
バビロニア語で「双生児」の意味で、マーシュ山は二つのピークを
連ねた双耳峰です。
日本では、奈良の二上山や茨城の筑波山が双耳峰として有名です
が、これらもこの世と冥界を繋ぐ聖山とされていました。
この稿の後半でもご紹介する大神神社からは、ちょうど春分と秋
分の日に二上山の双耳峰の間に沈む夕日を拝むことができます。ま
た、茨城県南部にある鹿島神宮から見ると、筑波山は夏至の太陽が
沈む方向にあたります。
太陽信仰では、一年を大きな一日のサイクルと見立てます。その
観点で見ると、春分はその日を境に昼が長くなっていくので夜明け、
逆に夜が長くなっていく秋分は日暮れ、昼の時間がいちばん長い夏
至は太陽が南天する真昼、冬至は真夜中となるわけです。
そして、春分から秋分の直前までは、太陽が優勢な「昼の季節」
で明るい此岸が支配的になり、秋分から春分の直前までは、太陽の
力が弱まる「夜の季節」で暗い彼岸が支配的になります。この此岸
の力と彼岸の力が入れ替わる春分と秋分を中心として、「お彼岸」
が行われるわけです。お彼岸には、此岸と彼岸が近づき、交錯しま
す。そこで、彼岸にいる故人たちがしばしの間だけ、此岸にやって
きて生きている人間と交流するとされました。
夏至の太陽は、一年でいちばん勢力が強いことを象徴しています。
この太陽を拝することで、鹿島神宮はその力を取り入れ、聖地とし
てのエネルギーをチャージしようとしたのでしょう。
双耳峰に沈む太陽は、あたかも天にある口に飲み込まれるように
見えます。太陽を飲み込み、反対側から見れば太陽を吐き出す双耳
峰は、当然、そこがこの世とあの世を繋ぐ出入口に見えたはずです。
ギルガメシュ叙事詩では、ギルガメシュはその双耳峰の中腹にあ
る大岩の間から冥界の底へ降りました。そこでギルガメシュは不死
の人ウトナピシュティムと出会います。そして、ウトナピシュティ
ムから不死となるための植物が生えている場所を聞き出します。ギ
ルガメシュが冥界へと降りたのは、不死となる方法を知るためだっ
たのです。
ウトナピシュティムが住んでいたのは、冥界の中の二つの川が合
流する場所でした。川の合流点も、それぞれ異質な世界を流れ下っ
てきた水がひとつに合流することから、全世界的に聖地とされるこ
とが多い場所です。
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