野平の桂の木を後にして、白馬からR148を北へ10kmほど、山間の秘湯奉納(ぶのう)温泉へと向かう道に入ってしばらく行くと、 見るからに堂々とした杉の巨木が沿道でこちらを見下ろしている。
巨木の根元には「白山社」という小さな社がある。その社の前に立つと、この木の根元が巨大な洞になっていることに気づく。 高さ42m、目通り幹囲が12mのまさに「そびえ立つ」大杉。人が楽に通り抜けられる洞の大きさも桁違いだ。
洞の中はまんべんなく焦がされていて、内側から腐るのを押さえられている。そのせいか、こんな洞を持ちながら、 枯れ枝も苔がついた弱った枝もなく、健康的で清々しい立ち姿をしている。
地元の年寄りたちは、子供の頃、みんなこの洞の中で遊んだという。時には、この中で眠ったりもしただろう。こうした、巨きく、 人の命の長さなど一瞬に思えるほどの時間を生きた生命に見守られ、それと触れあって育った子供は、どんな心を持つだろう?
自然環境を守る、持続可能な社会、そんな言葉だけでは言い表せない、自然との共生をどうしたら取り戻せるのか、 それをぼくたちは真剣に考えなければいけないのかもしれない。
**白山社の周囲にはイチョウの木がたくさんあり、足元を見ると銀杏が。福島さんは、
これをビニール袋にたくさん収穫していた。これも貴重な自然の恵み**
白山社の大杉からさらに奉納温泉への道を辿り、途中から狭い道へ分け入っていく。車一台がやっと通れるその道の行き詰まりに、 ひっそりと社がある。背後に杉の大木が生い茂るその社にお参りし、本殿の裏の斜面を登ると、巨木たちの中心に、 ひときわ高く抜きん出た木がある。
縄文土器の火炎模様を思い出させる太い枝が何本も腕を突き上げるように伸び、見上げた先でそれが密集して、 テラスのようになっている。これを地元では「神の腰掛け杉」と呼んでいるというが、たしかに、そこには神か天狗か、 人智を遙かに超えた存在がどっかりと腰を下ろして、下界を睥睨してそうだ。
古来、日本ではこうした巨木や岩に神が降臨するとされ、そんな事物を「依代(よりしろ)」と呼んできた……岩の場合は 「盤座(いわくら)」とも呼ばれるが……それは、こうした巨木や岩そのものが、 その存在が人智を越えた大きな意志が働いてできた奇蹟のように見えたせいでもあるだろう。
巨木は、生物として人より遙かに長く生き、巨大に成長した姿が人を畏怖させる。岩はそれ自体は生物ではないが、地球が「ガイア」 という一つの生命であり、そのガイアが息づいていることの証である。そして、 岩に秘められた悠久の年月もまた人をして畏怖の気持ちをいだかせる。
巨木や巨石に出会っていつも思うのは、ぼくたち人間が、こうしたものたちのスケールで世界をイメージできたら、 どれほど世界が平和になるかということだ。逆をいえば、人の一生が儚いが故に、人は生き急いで、 無益な戦いや競争に駆り立てられてしまうのだろうか……。
**白馬周辺の巨木巡りは、この冬、スノーシューと組み合わせたイベントとして実施する予定です。また、詳細が決まり次第、 ご紹介したいと思います**
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